2015年7月8日水曜日

病床にて

仕事が終わってから地下鉄で市内の某病院へ行った、実家町内に住んでいた一人暮らしのおばあさんの見舞いである、町内の数人で交代で行くのだ。

病院に着くとおばあさんは車椅子に乗って談話室に居た、ラジオを聞きながら雑誌を読むのが日課なのだ、持って行ったりんごの入ったヨーグルトを食べながらしばらく話をした。

すぐ戻るからとおばあさんを談話室に残し、そろそろ切れるだろうティッシュと石鹸をおばあさんのベッドの脇にあるラックへ置きに病室へ行くと別の患者の家族であろう中年の女性と出張治療でやって来る歯科医が向かいの病室の入り口で話をしていた。
その家族の患者は4人部屋の一番奥のベッド、その病室にはその患者だけである、歳は80歳くらいだろうか、入り口では歯科医が「入れ歯が合わなくなっているようですね」と女性に言うと「そうですか、でも、もう長くはないから」と答えたのだった。

私は「もう長くはないから入れ歯の調整は必要無い」という意味で言っているのだろうかと思って驚いた。

なにより、その2人が話している場所からは患者まではほんの数メートルなのだ、ベッドを起こしてきつそうに天井を見上げているあの患者に会話が聞こえているのではないかと心配になった、仮に、その患者本人が自分の余命が短いことを理解していたとしても聞かせる会話ではない、もっと離れた別の場所でするべきだ。

病室の入り口から見てみるとその患者は何度見たことか分からないであろう天井の角やカーテンの縁をまばたきしながら眺めていた。

私は、あの患者にはきっと歯科医と女性の会話が聞こえていたのだと思っている、自分のことを話している会話の内容を聞いていたのだと思う。

談話室に戻っておばあさんにそのことを話すと、その患者は乳がんだと教えてくれた、状態はとても悪く、悪臭と痛みで苦しいだろうと言っていた、身の回りの世話を看護師に頼り、痛みを堪え、余命の短さを悲しみ、残してゆくものへの寂しさを思い、なにより怖いはずである、病室の入り口での会話はそんな人に聞かせるべきではない。

あの患者はどんな人生を歩んできた人なのだろう、病床で何を考えているのだろう、私の母も乳がんで亡くなった、歳も近い、そのせいかいろいろと考えてしまう。

私が母に願ったように、あの患者も長い人生を生きてきて良かったなと最期に思ってくれるだろうか、さぞ辛いだろうなと思う。