他所のように夏日にはまだまだ届かない福岡だったがそれでも歩いていると薄っすらと汗をかいてしまった、日差したっぷりで、ほどほどの風は乾いていて心地良い、桜の花見には絶好の週末だった。
近所の小学校で咲いている桜の木の下には家族連れが来ていた、運動場を挟んで校舎と対するぎりぎりの敷地内だ、のんびりとした穏やかな光景である。
その小学校の周囲の歩道には既に散った花びらが吹き溜まっていた、壁に沿って桜色の帯ができていて1人の女の子がそれを集めていた、一掴みした花びらを目の粗い網の上に置いて軽く振るい、時にはその中から何かを摘み出しては捨て、そしてなるべく花びらだけになったものを白いレジ袋の中に集めているのだ。
どれくらい溜まっているのだろう、中が見えないので分からない、そして一体何に使うのだろう、なんだか過去にも見た光景のような気がする、その時は網は使わず子供用のおもちゃのバケツに集めていたような記憶がある。
そんな女の子の向こう側にはこちらへやって来るご婦人がいて、私と同じように花びらを集める女の子に目線を向けていたが立ち止まって花の散る桜の木を見上げた、顔を隣り合う別の木に向けては戻して眺めているのだった。
ふと、タクシー運転手のことを思い出した(2017年12月28日のブログ)。
そういえばしばらく姿を見掛けないでいる、最後に見たのはいつのことか、あの人は今どうしているのだろう、どこかでこうやって散る桜の花を見ているだろうか。
咲いた花はいつかは散る、そして季節が巡れば再び咲く、その季節ごとに1年を振り返り、時にはそれ以上昔の戻っては来ない在りし日の出来事を思い出したりもする、じっと見上げ、だが口には出さぬままその人なりの諸々を噛み締める一時であったりする、だがその先の1年を展望することはあまりないのではと思う。
1年を待って花を咲かせて散らせる桜の姿に悲喜こもごもを投影する機会となる場合が多いからであろう。
明日も暖かい福岡、雨は降らぬが乾いた風に吹かれて更に花は数を減らし、気がつけば葉桜となって季節はさらに進む、また花を愛でるのは来年の春だ、それまで元気でいようと思う。
そしてまた散る桜の花を目にし、1年を振り返るのである。