2018年3月8日木曜日

若い頃とは変化した住宅観

甥っ子と一緒に物件検索画面を見ながらあれやこれやと考えた昨日から、過去を振り返っては今を考え、未来を思い描いてはまたも今を考えるという状態がちょくちょく続いている。

昨日のブログでは床を通して階下へ響く足音の問題についてはボロでも一軒家のほうを選ぶだろうと私だったらの場合を書いた、そう、私ならそうする、だが、私が若い頃だったらどうだろうと考えてみると、きっと甥っ子と同じように新しくてきれいな住宅を望んだに違いない。

若い頃はいずれ実家とは別に一軒家でも建てるか部屋数の多いマンションでも買おうと考えていたのだ、思うがままに家具を置いて自分の住まいをがっちりと固めようと考えて未来を展望していた、だが、働き始めてすぐのころなので金がない、ある程度貯まるまでの辛抱とそれなりの年月を貯めてばかりで暮らしていたのだ。

ところが、いざ貯まってみるとその当時のような願望は薄れてしまっていた、持ち家には拘らず借家でも住環境に優れ不便することなく快適であればそれで良しと考えるようになり、さらに歳を重ねるとその考えはより強くなった、今では持ち家には全く拘っていない。

それよりも地震で補修が必要になった時は管理会社が面倒を見てくれて、住環境の変化などで住みづらくなった時にひょいと他所へ移れる賃貸のほうが便利だなと思うのだ、そのきっかけは福岡西方沖地震や隣近所の再開発でどんどん空が狭くなる実家町内の件がある。

私は中古で買った一軒家を持っている、これは私が住むというよりは姉が住むためのものだ、私の荷物専用の物置部屋を1部屋確保し、他は全て姉に好きなように使ってもらっている、姉は1人住まいなので3部屋は多い、だが、お客さんが来た時の客間兼甥っ子や姪っ子が来た時の居間として使えるので空き部屋はあったほうがいい、姉にその一軒家は必要だ。

一方、私の住まいは賃貸だ、置いている物は多くない、引っ越しをするなら単身パックで充分だと思う、その季節には着ない衣類などは全て一軒家の私の物置部屋に置いている、さあどうだ、私だったらもう少し狭いワンルームでも充分だぞ・・・と安くなる家賃も含めて考えてみたりしている。

今はチラッとそう思うだけ、だが、いずれ本気で計画を立てるかもしれない、今夜は自分のPCでいろいろと条件を変えつつ物件検索画面上にヒットした諸々を見ていた、かかる費用は随分と違うがまるで家電品の買い替えの品選び同様にこれもまた楽しい。