Twitterでリツイートのリツイートが流れてきた、元のツイートは某漫画家からのもので、飲み屋の店主らに宛てたようなそれは自分の作品を回し読みや貸し出しするのは止めてくれという内容だった、作品を売ることで生活をしているのだという主張である。
確かに、漫画家はそれで食っているのだから買ってもわらないと収入が発生しない、作品を好きで読んで貰えるのは有り難いことだろうけれど、回し読みで終わってしまえば生活が成り立たなくなってしまうだろう、死活問題だ、それは想像に難くない。
そのツイートには数件のコメントがついており、私が見た限りの最後のコメントは「買ってまで読みたくないんじゃ」というものだった。
漫画家はがっかりしたかもしれない、が、申し訳ないのだが現実はそういうことなのだと思う。
同じ「面白い漫画があるから読んだ」にしても「好きな作者の面白い漫画だから買って読んだ」という人もいるし、「好きな作者の漫画だけど借りて読んだ」という人もいるのである、両者の違いはどこにあるのかと言えば先に書いた最後のコメントのまま「買うまでもない作品」と判断されたのではないだろうか。
その漫画家にとってはきついことだとは思うけれど、こればかりは仕方がない、それに、飲み屋の店主が買ったものを回し読みさせたことは不満だろうが文句は言えない、飲み屋側にすれば「私が買ったものを誰に読ませようと勝手ではないか」と思うはずである。
買うか借りるかの境は私にもある、たとえば楳図かずお氏の名作だと思っている漂流教室や猫目小僧が書店と飲み屋の棚の両方にあるとしたら迷うこと無く書店で買うほうを選ぶ、借りるのは嫌だ。
まあ、そういった漫画がゲイの飲み屋に置いているなど思わないけれど。
だけど、朝刊の4コマ漫画を1年分集めた漫画は面白くてもたぶん買わない、時事と密接な場合も多い4コマだからこそ活きてくる面白さもあるだろうし、クスッと笑える面白さは炭酸飲料のように新しいうちに楽しみたいからである、長く置いて気が抜ければ美味しさは損なわれる、なので買って手元に置いておくのではなく借りるほうを選ぶだろう。
それとは別に作者が己の世界観の中で練り上げた物語がこれでもかというほど展開する漫画というのはずっと手元に置いておきたい、ふと思い立って読み返し、作者の描く世界にどっぷり嵌まる楽しみを味わいたいのである、寝かせて味に深みが出るワインのようではないか、こういった漫画は迷うこと無く買う。
私は回し読みはしないでくれという漫画家の気持ちは理解できる、過去に何度かその人の作品を雑誌の中で読んだこともある、退屈な内容ではないが特段惹かれるわけではなく、私にとっては面白い4コマ漫画で終わった、なのでその漫画家に対する思い入れは無い。
それでも、自ら選んだ職業なのだろうから、なんとか頑張って欲しいとは思っている、いつか私もその某漫画家の作品で、買って手元に置いておきたいと思うようなものをもし見つけでもしたら迷わず飛び付くはずである。
(追記:2016年9月19日)
「リツイート」が「リツート」になっていたのを訂正。
某漫画家の名を記載したコメントを2件預かっていたが、それが誰なのかはこの日のブログの主旨ではないので非公開です、ご了承のほど。