朝晩はなんとなく涼しさを感じることもあるのだが昼間の福岡はまだまだ暑い、そのせいで夏向けの食べ物が盆を過ぎてもやっぱり美味しい。
今日はスイカを1玉買って姉のところへ持って行った、ネットスーパーでは1/6サイズしか売っておらず、しかも高い、丸々1玉は冷蔵庫のスペースをとってしまうが安く、喉が渇けば水代わりに好きなだけ味わえるのが良い。
盆も過ぎたので供え物や飾り付けも片付けられていて父や母、そして他界したほうの姉(長女)と向き合えるのは仏壇だけになっていた、なんだか部屋ががらんとしたようで寂しくなったと姉はまた言う、昨年もそう言った、きっと来年も同じことを言うだろう。
そう、来年だ、「また来年ね」と姉が笑って言った、皆が帰って来て一緒に過ごせるのは来年だという意味で。
そんな自分を「留守番」だと言い、また笑った、1年のほとんどをあの世で送り、ほんの数日だけ帰ってくる家族、留守番というにはあまりにも1人きりの時間のほうが長いのだけれど。
供え物だった青いバナナが残っていた、供え物用なので追熟しておらず食用不可・・・と注意書きを貼って店では売っていたらしい、だがそんなことはない、もう数日放っておくと徐々に黄色みを帯び、さらに放っておくと熟れて食べられるようになる。
他所には供え物はご先祖様のものなので現世の自分たちは食さないという習わしの地域もあるようだが、うちは供え物は期間が過ぎれば廃棄せずに食すようにしている、いつからそうなのかは分からないが、子供の頃からそうだったし、近所もまた同じだった。
まだ青いバナナはいかにも固くて不味そうである、あまりにも形がきっちりと整っていてシミひとつないスベスベとした表面なので見ようによってはプラスチックでできた模型のようにも見える。
黄色く熟れるまであと何日かかるだろうか、色が変わった頃に姪っ子や甥っ子が見つけたら普通のバナナだと驚くかもしれない、とにかく、美味しくなった頃にまず味わえるのは長く留守番をしている姉である。
また1年が経って皆が帰ってくるのを楽しみに待っている姉の特権なのだ。
父が元気だった頃、貨車区の仕事から帰ってくると時々バナナが土産だった、姉も、私もそれが好物だった、今とは追熟の方法が違う昔のバナナは贔屓目でなく甘くて美味しかった。
さて、残暑の厳しい部屋で熟れたバナナはどうだろう? 父が持ち帰っていた紙袋に入ったバナナと同じくらい甘いだろうか、しばらくの後に姉に訊いてみようと思う。