2016年8月22日月曜日

予想から10年以上が過ぎ

科学の進歩に合わせて医療技術も日進月歩、ガンの画期的な治療法が既に確率されて怖い病気ではなくなっているだろう・・・と、30年以上も前に医療に詳しい人がテレビで「21世紀の予想」として語っていた、その根拠として中性子線や陽子線を使った治療の登場とバイオ技術を駆使しての抗ガン剤開発を挙げていた。

当時私はまだ10代、健康面の不安など微塵も無く、死の縁からは遠い所にいた当時はただ単に眺めるようにその番組を見ていただけだった。

時は過ぎ今はとうに21世紀に入った2016年、残念なことに10代の頃にぼんやり見ていたテレビ番組のようにはなっていない、ガンはいまでも怖い病気のままで死因のトップに立っている。

そして今日、私の友人の中で最も高齢な人が亡くなった、喉頭ガンだった、それが見つかって手術をし、一旦は回復し仕事にも復帰していたのだが再発した、再入院後はどの治療も効果をあげることができずにとうとう亡くなったのだった。

最後に見舞いに行った時は治療のせいで疲れているらしくベッドで眠ったままで会話(筆談)もできなかった、今になってみれば目がさめるまで粘っておけばよかったと思っている。

最初の手術日前日、術前処置で入院したその友人との肉声による最後の会話で笑いながらも「これからどうなるのかな、怖い」と私のほうを向かずに言った掠れた声と横顔が忘れられない。

家族を含めて何人の身近な人がガンで亡くなっているだろうか、皆に共通しているのは治療によって一旦は回復しつつあったのだが再発や転移、またはがん細胞の変化などでそれまでの治療が効かなくなり結局病状は悪化、ついには亡くなってしまうというパターンを辿っている。

私は最近思い始めている、もしかしたらガンが治る日は来ないのではないかと。

ただ、治ることはないが、再発や転移のメカニズムが解明され阻止する方法が発見され、ガンと共存という形の寛解期を維持することで天寿を全うするという道はあるとすればどうだろうか、「ガンを治す」という言葉からは一歩引いた消極的なものかもしれないが現実的な気はするし、もしかするとそれなら実現できるのではとも思っている。

私自身の年齢が上がるにつれ他界する友人たちもまた増えている、ここに書いた通りガンの人もいれば別の病気の人もいる、事故という人だっている、人は皆いつかは死んでしまうものだけれど痛くて苦しい最期を迎えるのは想像するだけで辛いし怖い。

ジリジリと体を蝕むガンをなんとか抑えこむ方法はないものか、完全に治療できずとも、一切の憎悪を阻止し健康な部分が圧倒的な優位に立ったまま日常の生活を送れるような治療法が登場すればいいなと切に願っている。



(追記:2016年8月24日)

葬儀は24日、ただし、身内だけの家族葬となるらしい、生前に本人が望んでのことだという。

死を覚悟した時に自身の終わり方と身辺の整理の仕方をいろいろと考えていたのだと思う、実に切ない。