「この すめな だしの ようしまって うまかなあ」=「この出し汁は煮出しがよく利いて美味しいですね」。
・・・この博多弁を上手に標準語へとは訳せない、博多では熱い(温かい)掛け汁としての出し汁のことを「すめ」と呼ぶ。
博多は「うどん」との縁が深い、うどんと言えば讃岐を思い浮かべる人が圧倒的に多いだろうが、博多はうどん発祥の地なのだ、讃岐のようにコシのある麺ではない、腰砕けの柔らかい麺で離乳食代わりで赤ちゃんに食べさせていたほどだ。
過去形なのは今はそういった話を聞かないからである、きっと栄養のバランスを考えられた便利な離乳食が重宝されているのではなかろうか。
さて、今日は友人と二人で東へ遠出をした、いつもとは違うのは目的地で酒を飲むのがわかっていたので車ではなく電車で行ったこと、着いた先で軽く食べたのは「うどん」、空いた小腹を満たしたのだ。
そこではごぼ天(ごぼうの天ぷら)うどん注文、すめはいつもの慣れ親しんだ味とは少し違う味、でも美味しかった。
9歳年下の友人に冒頭に書いたままを言ったら、「すめって何ですか?」と訊いてきた、同じ福岡生まれでも年代の差で通じない言葉がちょくちょく出てくる。
以前に一日社会体験で仕事場にやって来た調理師学校の生徒さんが二人いて、もろみと酒と味醂を合わせた調味液に浸した鶏肉の汁気だけ捨てたかったので「すためちゃり」(すためてくれ)とその片方に言ったことがある。
「『すためる』って何ですか?」
「すためる」が解らなかったらしい、固形のものは残し、液状のものだけを滴らせるまでに汁気を切ることを言うのだが標準語にぴったりの言葉はあるのだろうか、わからない。
すためるという言葉は生活の中で普通に使う場面は結構あったような気がする、石鹸ケースに溜まった水を「せっけんの とけるけん すためときやい」(石鹸が溶けるから水気を切っておきなさい)とか「ぬかの みずけば よーっと すためとかんと すいくなるばい)(ぬか床の水気はよく切っておかないと酸っぱくなるよ)など、いろんな場面を思い出す。
メールなどでもつい使ってしまう、「たっぱい」、「くらす」、「いぼる」、「すかぶら」・・・、品の悪い言葉もしょっちゅう登場する、まあ、それも含めてこの土地の言葉なのだ。
日本全国どこに行ってもその土地ならではの言葉がある、北海道の「しばれる」や京都の「はんなり」だってそう、説明されれば「なるほど」と解るけれど、風土を知らぬので意味はわかっても感覚は理解できてはいないはず。
言葉は難しいけど面白い。