2018年4月3日火曜日

名前負け

午後のスタバでのんびりしていると少し離れたソファーで「お前名前負けしてるよ」とからかわれている人がいた、3人連れだ、右端の男が左端の男にそう言っていた、左端の男の名はなんというのだろう、それは分からぬままだったが「怖い、苦手だ」と何かについて言っていたのでその点を突かれたのだろうと思う。

「名前負け」・・・か、親が付けた名に対して言われることもあれば、呼び名として付けられた名に対してのこともある、私にも多くの友人知人がいて、各自いろんな呼び名を持っているが、いまだ一度たりとも名前負けしていると思ったことがない、確かに呼び名と実態がかけ離れていることもあるが、だからといって名前負けしているとは思わないのである。

たとえば男であることを強く感じさせる呼び名を持った知人に40代の「テツゾウ」、50代の「ガンキチ」と「ドルジ」という人たちがいる、ちなみにこれらは私が勝手に付けた呼び名で、その本人と私との間だけでしか通用しないものであり、ここに書いたからと言って第三者に各々3人の何れにせよ特定されるようなことはない。

そう、呼び名はおろか体格をも含めていかにも男っぽくて強そうではあるが内面はいたって繊細な人たちである、ナイーブであると書きたいところだが悪い意味で受け取られるかもしれないので敢えてそうは書かないでおこうと思う、とにかく繊細で優しい男たちなのだ。

「なんだ、名前は強そうなのに」と言うなかれ、人の強さは体格の良さや腕力だけで決まるものではない、何かをやり遂げようとする意志の強さや、解せぬ何かを追い求める飽くなき探究心だったり、人の意見に迎合することなく自らを主張できる自我の確立など内面に負うところが大きいのだと思っている、なので先に挙げた3人は見た目の印象と後述した何かしらの内面の強さを合わせての呼び名付けだったのだ、決して名前負けなどしていない。

一方、今日のスタバの3人のうちの左端の男は何を怖がっていて苦手意識を持っているのだろう、それが何であっても本当に名前負けなのだろうか、いや、その人そのものと名前とを連動と対比させるほうが奇妙に思えるので私の頭からは名前負けという考えは生まれてこない。

まあ、熊のような大男が「ジョセフィーヌ」などという呼び名だったら不似合いだなとは思うけれど。

人に対しては思わないものの、仮に私が名前負けしていると思われるとしたらどういった場面だろうか、その点には少し興味があったりもする。