2017年3月3日金曜日

映画:「縞模様のパジャマの少年」


ジョン・ボイン原作をイギリスとアメリカの合作で映画化したもので日本では2009年に公開されたようだが私はNetflixで今日観たのだった。

映画の感想を書くのは2015年9月以来の久々である(2015年9月25日のブログ)、ネタバレしないように書いている、そのせいもあって感想と言うには短すぎて細部がもやもやとして内容がよく掴めないであろう点はご了承のほど。



あらすじ:

第2次大戦中のベルリン、そこに住む4人家族の父親はナチス党員であり優れた軍人でもあるのだが、昇進で得た新しい職務のために遠く離れた田舎へとある日突然引っ越しをすることになるのだった。

4人家族は父と母、そして姉と弟の2人の子である、末の男の子は8歳のブルーノ、親しかった友人らと離れ、緑に囲まれた新しい田舎暮らしは学校に通うこともなく勉強も自宅学習に頼る生活、近所には遊べる同年代すらいない。

そんな毎日に退屈したブルーノは庭の隅に小さな扉をみつけ、見つかれば叱られるのを分かっていても好奇心には勝てずそこから外へと出てしまう。

森を抜けたあたりで鉄条網に囲まれた場所に辿り着いたブルーノはそこに隠れるように座り込んでいる少年と出会うのだった、髪を剃り落とし、何故だか縞模様のパジャマを着ているその少年は自分と同い年で名はシュムールだと知る、2人はお互いの境遇の違いがよく理解できないなりにも会う度に親しみが増すのだった。


2人の少年にとってはお互いが普通の友人としての存在であり、ナチスの子とユダヤ人の子であることはもとより、差別や憎しみといった概念など全くない純粋さと乖離する現実の残酷さが見ていて辛く切ない、シュムールにとっては自分が着せられている縞模様の服も、そこに振られた番号も、そもそもなぜ鉄条網の内側に連れてこられたのかが分からず、ブルーノにとってもシュムールがそこにいる理由や自由が全く無いことが分からない、だからこそ2人は囚人服をパジャマだと思っているし、高い煙突から出る煙が何を燃やしての煙なのか知る由もないのだ、想像すら無理である。

父親が戻って来ないと言うシュムールに、一緒に鉄条網の内側で捜そうと提案するブルーノのシーンで私はひとつの展開と結末を思い描いたのだが見事に外れ、衝撃とも言うべきまさかの結末となったのだった。

国と国との戦いにしろ、突然の一方的な侵略にしろ、その激流に翻弄され不運に見舞われるのは性別も年齢も関係ない、この2人の少年もそう、たくさんの不運の中のひとつをフィクションで描いたものなのだけれどゾッとする人間の怖さと戦争の残酷さが痛いほど伝わってきた、文字ではとても言い尽くせぬものなのだけれど。

派手な戦いのシーンや流血シーンなどは無い、見えぬ向こう側の出来事は観る各々が頭の中で描くこととなる、それが大変重くて悲しい映画だった。