シーズン5以前と以降ではテイストが変わってしまったけれど、総じて楽しめたドラマだった、なにより毎回のアレンジを加えたカバー曲のパフォーマンスは素晴らしかった。
終わりよければ全てよしに通ずることなのだが、私見ながらドラマは最終話のエンディングが話全体の出来栄えを少なからず左右すると思っている、グリーのエンディングはあれはあれでよかったのだが、観終わった後にジーンと滲みて頭の中でそれらのシーンを繰り返してはいろいろと思いを馳せるという点に於いてはハッピーエンドではないほうが上である。
たとえば、以前に書いた「ダメージ・シーズン5」(2015年9月17日のブログ)、その最終話のラスト数分でのグレン・クローズ演じるパティの心情は言葉などにせずとも表情と沈黙だけで痛いほど伝わってくるのだ、社会的に成功はしたが決して幸せではないパティと、法曹界から身を引き一児の母親となったローズ・バーン演じるエレンの今とのあの距離感。
エンドクレジットに繋がるまでのパティの表情、脳裏を過るのは何だろう。
そして「ナース・ジャッキー」、白衣の天使などという言葉とは無縁な型破りな看護師のジャッキーを演じるのはイーディ・ファルコ、鎮痛剤から始まった薬物依存症はヘロイン中毒となり看護師の資格を剥奪され勤務する病院から解雇されるのだが釈放後に更生と薬物検査を条件に清掃係として復帰、再び看護師の資格を得ようとはするのだが病院は閉院となり最後の日に救急で搬送されてきた患者のヘロインを吸って幻影を見つつ病院スタッフの中で倒れてしまうのだった、かつては後輩看護師だったメリット・ウィヴァー演じるゾーイがジャッキーに繰り返し掛ける「あなたは良い人だよ」という言葉が泣かせる。
ジャッキーはヘロインの過剰摂取による中毒で命を失ってしまったのではないだろうか、BGMは「Theme From The Valley Of The Dolls」、寂しい歌である。
最後は「ザ・ソプラノズ」、このドラマのエンドクレジットで流れるBGMは主役のジェームズ・ギャンドルフィーニ演じるトニーの心境や置かれた状況を反映する選曲のようだったが、最終話では突然に黒い画面となり全くの無音のままクレジットが流れて終わる、トニーがその場で殺害されたのは誰にでもわかる、私は銃で撃たれたのだと思う、トニーは善人ではなかったけれど全くの悪人でもなかった、悲しいラストである。
そういえばこのシーンでトニーが卓上のジュークマシンから選んだ曲は「Don't stop believin」なのか、グリーにも1話目とシーズン4の19話目で生前のフィンの最後のパフォーマンスでの楽曲として登場する、さらに、トニーの妻役を演じるのは先に書いたナース・ジャッキーのジャッキー役を演じたイーディ・ファルコなのだ、ううむ。
暗く寂しく悲しいエンディングが好きなわけではないが、私の場合、ずっと頭に焼き付いて残るのはハッピーエンドではないこういったものなのだ。