このブログを以前から見ている人にとって私のお馴染みの家族といえば姉(次女)や姪っ子に甥っ子だろう、亡くなった父や母、そして姉(長女)も登場するが「その日にあったことを書く」というコンセプトで成り立っているこのブログの中では思い出話としてしか登場しないので生きている人たちの話題と比べると回数は比べるまでもなく少ない。
ただ、私にはもう1人兄弟がいる、いや、「いた」のだ、6月24日に入院先の病院で亡くなった。
私は4人兄弟の末っ子だ、上から姉→姉→兄→私となる、実は兄のすぐ上にはもう1人兄がいたらしいのだが生まれてすぐに亡くなったと母から聞いたので話の上でしか知らない、生きていれば5人兄弟ということになる。
それはさておき6月に亡くなった兄だ、同じ市内に住んでいながらも私はおよそ25年近く会っていなかったのだ、性格そのものが合わなかった上にトラブルばかりを起こし幾度となく我が家を窮地に立たせた張本人だからである。
私が最後に会ったのはもう実家に出入りするなと鍵を取り上げた25年前のあの日なのだ。
とはいえ、母や2人の姉はそれ以後も連絡をとっては度々会っていたはずで、「久しぶりにお兄さん見ましたよ、なんだか痩せられましたね」と近所の人から言われたこともあるのだ、きっと私に知られぬよう母は兄を実家に出入りさせていたのだろうと思っている。
そして6月24日、姉から兄が危ないから来てくれと連絡が入ったのだ仕事を終えた午後のこと、言われた病院に行ってみるとどこの老人なのだと思いたくなるほど老けた兄が意識の無い状態で横になっていた、医師からは心臓の病気であることを聞かさて眠ったまま逝くだろうとも知らされた。
入院は3月からで姉は週に2度ほど訪れていたらしい、保証人も姉だ。
そして医者の言うとおり確かに目を覚ますこともなく兄はそのままその日のうちに逝ってしまった。
それからしばらくの間というもの姉はひどく落ち込み痩せてしまったが、私は兄の残した相当額の負の遺産の処理で日々忙しかった、その「処理」とは何をどうすることなのかは詳しくは書かない、これを読んでいる人たちの想像にお任せしようと思う、まあ、私の性格を知っている人ならばおのずと解ってくれそうだけれど。
本当は6月25日からも数行の箇条書きで毎日のことをこのブログに書き残しているのだが、公開は無理なので私だけの日記として伏せておくことにする。
そして今日になってブログを更新したのはそういった負の遺産に加えて遺品の整理が全て終わったからである、最後は人から借りたビデオデッキだ、やっとのことで持ち主が判明し連絡の上返却した、相手は兄が亡くなったことを知らなかったようで大変驚いていた。
同居していた年下の女の存在や、負の遺産、初めて知る兄の人間関係など、どれもややこしくて面倒だったが全て終わった、正直なところホッとしている。
ふと、家族とは何だろうと考えてみることがある、何度も同じことを自問し、自分なりの答えを導いてはみるものの、いまひとつ釈然としないのだ。
家族とは何だろう、本当に、何なのだろうか。