2011年7月25日月曜日

「例え」に現れるあなた

仕事帰りのコンビニ、そこから表に出てきたのは20代半ばくらいの男性が2人、彼らは私と同じ方向へ歩いて行く、ただし、2人は話をしながらのんびり歩いているのでこちらのほうが歩みは速い。

ほどなく彼らを追い越そうかというあたりで髪のやや短いほうが「うわー酸っぱいなーこれ」と手にした緑色のボトルをまじまじと見ながら言う、髪の長いほうが「そんなに? どれくらいですか?」と訊けば、「pH(ペーハー)3ぐらいかも」と答える、そこで返ってきたのは「あ、俺それは無理ですねー」という反応。

この2人は酸っぱさを具体的なpHで伝えて理解できている、pH3の酸っぱさを経験として共有している2人なのだ。

学生風ではないので社会人で何かしらの研究職か、化学業に携わる人なのか、はてさてどんな人たちなのだろう。

何気ない言葉の中にその人が置かれた社会や生活環境が見えてくることがある、見えずともぼんやりとベクトルだけ伝わるということのほうが圧倒的に多いのだけれど。

街中で連れ立って歩く若い子らを輸入サザエみたいだと言った海産物販売店の営業員や、長かったフランス生活から戻って来た知人がアスファルトを低い位置から照らす夕陽を焼き栗色だと言ったのもそういうことなのだ。

某音楽家はテレビの対談で「あなた今日はイ短調で喋っているけど元気ですか?」と言った、イ短調がどういうものなのかは私には理解できないが、分かる人には分かるのだろう。

誰かとの会話の中で「おや?」と思うような例えや表現を耳にしたら、そこを敢えて細かく問うよりまず覚えておいて、後から思い出してその人の背景を思い描くのも結構楽しかったりする。

そんな楽しみも織り交ぜつつ賢い人との会話は機微に富んで本当に楽しい、なにより洗練されている、もののたとえを自分の豊富な経験で代替させて表現してくれる。

もしそれが相手に伝わらなければ別の言葉で言い換えてくれる賢さがある、それと同時に聞くのも上手だ。

「pH3」に情感は乏しいけれど、化学や物理や理数だって自然法則の一部なのだと解釈すればややこしい数式の解法だって流麗なショパンの楽譜に思えてくるのかも。

2011年7月21日木曜日

宴の後

普段、ドラマと言えばアメリカドラマばかりなのだ、昔は国内ドラマにも面白いものがたくさんあったのだが今は初回で味見をしたら続きはもう見ていない、寂しい限りである。

だが久々に面白いドラマを見つけて毎話欠かさず見ていたものがあった、過去形なのは最終話を見終えたからだ。

録画していた火曜の午後10時・・・より少し遅れて放送されていたNHKのドラマ「下流の宴」、そのの最終話を見終えた、NHKのこの時間帯のものを見逃さぬよう録画しているのは珍しいこと。

このシリーズは全8話にて構成されていた。

第1話から物語の要となる一家の息子の無気力さと覇気の無さに失笑と苦笑を重ねつつ、若干いらつきながらも目を離せず毎回欠かすことなく見続けられたのが自分でも不思議。

息子を挟んで彼女と母親の綱引きも越えるに越えられぬ世代と価値見の違いのちぐはぐさが可笑しくも息苦しく、そして身近にゴロゴロと転がっていそうで妙にリアル。

ぼそっと呟くようなセリフに重い意味が込められていることが多く、おのずと一言も逃さぬようにと見ていた。

退屈な2時間ドラマみたく結末まで楽に見通せるものとは違って、いつもこちらが予想したのとは少し違った展開で話が進んでゆく面白さは、きっと原作が素数のような林真理子の脳内から生まれた話であるのと、それを匂いまで理解していそうな優れた脚本家の力量のお陰だったのではなかろうか。

特に結末は「窓から皿を投げたら皿が割れた」のではなく「地面にヒビが入りました」というくらい意外だった、個人的には。

母親役の黒木瞳も思った以上にぴったりで、適役だったと思う。

再放送もあるだろうし、オンデマンドで見る人だっていそうなのでネタバレを避けて物語の詳しい内容は伏せますが。

故にドラマを見た人はこの日記に「ふふん」と思い、そうでない人は何が何やら解らないという状態に違いない。

もしいつか再放送の機会が巡ってくれば、まず1話目だけでもいかがだろうか、何か「おや?」と思うところがあれば続く2話目も是非どうぞ。

2011年7月11日月曜日

敢えて凍らせる方法

日も暮れた宵の内にいつも立ち寄るスーパーへ行った、普段なら仕事帰りの夕方だけど、今日は一旦帰宅し、夕食も済ませた頃の散歩ついでの買い物だった。

入ってすぐの場所、日配品の棚に3割引のシールが貼ってある木綿豆腐を幾つか見つけたので買い占め、私は高価なものを買って幸せになるタイプではない、良さそうなものが安く買えて小躍りするタイプなのだ、こういった特売品を見つけるのは楽しい。

浮いたお金は口座にジリジリと貯まる、塵も積もればでそれもまた楽しいではないか、そんなせいかケチ(!)だと言われることも多い。

まあ、それはともかく(笑)、野菜4種類と日替わり特売品のヨーグルトと豆腐4丁を提げて帰宅。

豆腐を1丁だけボウルの水の中に移して冷蔵庫へ、残り3丁は半分に切ってラップで包んで冷凍庫へ。

冷蔵庫ではない、冷凍庫、完全に凍らせてしまうのだ。

豆腐は冷凍してはいけないと言う人も多いけれど、凍らせた豆腐は解凍後にぎゅっと水気を絞って包丁で切るなり手で千切って放り込むなりで煮物等に使うと味がよく滲みて美味しい、独特な歯応えも生まれる。

ただし、冷奴のような食べ方はもうできない、スポンジ状になっていて薄味の煮物(味が濃いと煮汁をたっぷり吸うので塩辛い)や汁物にしか使えない、揚げたり炒めたりも全く向かない、そういうものには買ってきたままの豆腐をどうぞ。

面白い使い方として水気をしっかりと固く絞ってバラバラにしてしまうのである、包丁で細かく刻んでしまえばそれで充分、簡単に細かくできる。

それをハンバーグを作る時のパン粉の代わりに使うのだ、少し食感が変わるし、植物性蛋白質も摂れて、パン粉よりは炭水化物を減らせる。

どこかにまだ固い木綿豆腐の面影を残した凍り豆腐(高野豆腐)のような感じが良いのである。

特売品等で安い木綿豆腐を多めに見つけたら多めに買ってお試しあれ、好きな時に使えて実に便利。

解凍は前夜から冷蔵庫か、レンジで2~3分の加熱で。

2011年7月10日日曜日

エスカレーターは正しく使いましょう

夕方前の天神の某商業ビル、地階から上の階へ行こうとエレベーターへ、だが順番待ちが多くて時間かかりそうだったのでエスカレーターで上へ。

目指す5階で降りてみれば男の子が右手で左手首を握ったままエスカレーターの脇で泣いていた、父親と思しき男がフロアの責任者風の男に「だったら『ベルトを掴んで遊ばないでください』くらいはっきり書いておけ!」と 激しい口調で言い立てて騒いでいる。

次から次に下から客が上ってくる、皆「なにごとなのだ」といった面持ちで通りすぎてゆく。

どうやらその子供はエスカレーターのベルトを掴んで(自分の側に引っ張って)動きを止めようとして手首を傷めたらしい。

バカなことを言うものだと思う、エスカレーターのベルトは掴んで遊ぶものではないことくらい常識ではないのか、なにより、大人が子供をしっかり監督し不測の事態に至らぬようそんな行為を注意して止めさせるのが当たり前。

そう、当たり前、親の責任なのだ。

「ベルトを掴んで遊ばないでください」などという注意書きが当たり前の世の中だったら他の事についてもあらゆる注意書きを用意しなくてはならなくなるではないか、

「目を閉じたまま歩かないでください」
「歩行中の突然の逆立ちはご遠慮ください」
「公園に家を建てるのはお止めください」

・・・普通こんなことまで注意しないであろう、しないのは「そんな行為に及ばないのが常識」だからである。

己の、保護者としての責任はなおざりのまま、それも分からずに他人に責任をとやかく問うなどは常識が欠落している証しなのだ。

なにより、どこか傷めたのならそこで文句を並べるのに時間を費やすのではなく、さっさと子供を病院に連れて行って診てもらうのが先だ、あの大人は子供の体よりも自分の感情を優先している。

不思議と近頃こういう人がやたらと目につくのだ、見かける偶然の機会が増えたのか、はたまたこういう人そのものが増えたのか、これからも度々目にすると思う、嫌な光景である。

2011年7月1日金曜日

元物置部屋で寝る男


実家の物置部屋になっていた日当たりの悪い部屋を整理した、姉の古い雑誌や壊れて使いようのない扇風機やコイルの切れて音が鳴らないスピーカーなど「こんなものまで」と思う物の多くがごみと化した。

懐かしいものもあったりで整理作業は楽しかったけれど。

この部屋を整理する目的は私が寝るため、決して今の賃貸マンションを追い出されたわけではない、母親も高齢だし、姉が女2人だと心細いと思うことが最近あるらしいので実家に居る時間を長めにするためである。

最低でも週に2日は様子を見に行き、そのどちらかは深夜までか、いっそのこと朝まで居ようと思っている。

私が行かない日は時々でも姪が様子を見に来てくれるらしい。

その六畳間に置いてあった物のうち不要な物は明後日の回収となるよう手配も終えた、軽トラック1台で済んでしまう量である、処分費用は全て合わせて約2万円なり、高いのか安いのかはわからない。

なんとか部屋を空けて掃除も済んでネット通販で買っていた窓用のエアコンを取り付けました、本当はセパレートにしようかと思っていたのだが、室外機の設置場所の関係で断念。

室外機の後ろと前にそれぞれ最低限必要なスペースというものがあるらしい、あまり狭い場所に設置すると後々のメンテナンスも大変だという、なるほど、それはよく理解できる、室外機設置のために子供の頃から葉を繁らせている南天を切り捨てるつもりは無い。

窓用エアコンの運転音はそこそこ大きいだろうなと覚悟をしていたが予想通りに大きい、ついでに本体も大きい、取り付けは30分ほどで至極簡単、日本製で使わぬ時は窓をぴたりと閉められるのは良い、スイッチオンですぐに冷えるので音さえ気にしなければ問題なし。

そう、音は大きくともそれが不快なほど気にならないので問題ないのである、それよりも猛暑の季節の熱帯夜をうなされることなくぐっすり眠れるほうが重要、これならこんな物置部屋でも快適に過ごせそう。

いや、違う、「元」物置部屋だった。

先ほど少し書いたが、この窓用エアコンは冷風が出てくるまでの時間が素晴らしく早い、僅か数秒である、セパレート型のエアコンだと室外機のコンプレッサーが動き出して、冷却ガスが循環を始めて、準備が整ったところでいよいよ送風開始・・・となるのだけれど。

しかも六畳間だと寒いほど冷える、木造家屋の想定冷房空間として四畳半が記されていたが、購入時に参考にした口コミサイトの評価通りで充分過ぎるほど冷えるので冷房能力の点で問題は無い。

ところで最近、姉は家庭ごみの持ち出し日にごみ袋を提げて表に出てみると、暗い場所からよそのお宅を覗き込んでいる誰かを見かけたらしい、こちらに気付くと足早に去って行ったというから姉の言う女2人で居ることの心細さの原因になっているのかもしれない。

玄関にLEDの常夜灯を灯し、暗かった部屋にも明かりが灯って住人が1人増えれば、たとえそれが私が4人兄弟の末っ子であっても多少なりとも心強いのではなかろうか。