2014年8月21日木曜日
最後のQ33
正式な商品名は「MDR-Q33SL」、ソニーの廉価で日本製の耳掛け型ヘッドフォン。
最初に1本買い、音が良かったので追加で2本買い、販売終了後に「もう1本買っておけばよかった」と思っていたところに新品をオークションで見つけて落札購入、結局全部で4本手に入れたことになる。
昨日、3本目の左側のユニットを破損してしまったせいでとうとう残る最後の1本の出番となってしまった、布編みのようなケーブルは柔軟性があり使い勝手は良いものの、もしかするとイヤードライブ側で断線が起きやすい構造なのかもしれない、その点に注意し大事に使わねば。
インナーイヤー型ヘッドフォンが全盛の今は耳掛け型そのものがマイナーな部類で、しかも耳掛け型の中でも無骨なデザインなので街では「おや?」という目で見られることもたまにはある、が、それは構わない(笑)。
周りの音が聞こえるので雑踏の中でも危なさを感じることはそれほど(全く?)無くく、逆を言えば音漏れが激しいので人の多い場所では音量を絞るか、いっそ使用しないかに努める必要はありますが。
カーンと立ち上がる乾いた締りのあるスッキリとしたこの音が好き。
マイケル・ジャクソンの「Black or White」の冒頭の部分、ドアを強く叩く音に「自分の部屋か!?」とギョッとしたこともある、懐かしい。
音のマニアにとってはチープなドンシャリ音らしい、だけど、個人的にはこの機種以降、これに代わるものは未だ登場していないのだ、同クラス帯であればKOSSというメーカーのものに良いものはあるにはある。
ただし、ややサイズが大きい、もう少しコンパクトなら良いのだが。
ところで、手頃なこのあたりの価格帯に日本製のヘッドフォンとはあるのだろうか、ソニーのこういった商品もこれ以降は中国製や韓国製だったりで日本製は無さそう、オーディオテクニカやパナソニックも海外生産品のようだし。
円安で海外製造のメリットが薄くなっているだろうから、こういった商品も国内回帰で日本製に戻って欲しいと思う。
2014年8月16日土曜日
「こわい」
昔と違ってテレビから夏の怪談番組がめっきり減った、ドキュメント風なもの、語り部調、映画の類まで軒並みである。
減った理由は様々ではあると思うが、怪談好きの一人としては寂しい限り。
夏休みには昼のバラエティ番組でも毎週のように怖かったり不思議な話の放送をしていたが、今はお笑いタレントによるよくわからない番組だけになってしまった。
意外なことにNHKが面白い特別番組を放送することがある、たとえば2年続けて盆の頃に放送した語り部形式の「日本怪談百物語」や小泉八雲についての番組、オムニバス形式のドラマ「おそろし ~三島屋変調百物語」(放送予定)など。
私は、NHKには怪談ネタが好きな人がいるのだと思っている(笑)。
特に最初に挙げた日本怪談百物語は秀逸だった、CG満載の映像で見せるのではない、語り部の読む演技力のみの勝負で、同じ話を聞いても頭に思い描く怖い光景は人それぞれだと思う。
だが、そういった場合、誰しも意識することなく仕入れた話の筋に自分が最も怖いと思う光景を絡めるように自分で思い描いてしまうものなのだ、なので話だけを聞いて怖さにおののくというのは内側から湧き上がる怖さなのである、これは映像で見せられるよりも長く尾を引く。
子供の頃の、見つめる静かな闇夜の奥に見えてはいけない異界のものが見えてきそうな思いに足が竦むような怖さは自分自身の情操教育に役だっていたはずだと今では思う。
あの闇夜から連想や想像する怖さの対象は、どうにも抗えない自然への畏怖の念に重なるものがあり、今に至るまでその思いは崩れぬままなのである。
子供には奥底の欠片すら見えぬ溺れ沈みそうな暗闇の怖さを教えてあげて欲しい、形を成さぬ概念だけにしろ「こわい」という感覚を養って欲しい。
目に見えるものや直に触れることができるものしか信用しない子供が増えた今、もっと視野を広げ、感性豊かな人として成長してくれればと思っているのだ。
そして、願わくば大人になった時に、己が暗闇の怖さに震え、自然と自分との距離を知った時のように後世を担う子供らに「こわい」という感覚を教えて欲しいのだ。
減った理由は様々ではあると思うが、怪談好きの一人としては寂しい限り。
夏休みには昼のバラエティ番組でも毎週のように怖かったり不思議な話の放送をしていたが、今はお笑いタレントによるよくわからない番組だけになってしまった。
意外なことにNHKが面白い特別番組を放送することがある、たとえば2年続けて盆の頃に放送した語り部形式の「日本怪談百物語」や小泉八雲についての番組、オムニバス形式のドラマ「おそろし ~三島屋変調百物語」(放送予定)など。
私は、NHKには怪談ネタが好きな人がいるのだと思っている(笑)。
特に最初に挙げた日本怪談百物語は秀逸だった、CG満載の映像で見せるのではない、語り部の読む演技力のみの勝負で、同じ話を聞いても頭に思い描く怖い光景は人それぞれだと思う。
だが、そういった場合、誰しも意識することなく仕入れた話の筋に自分が最も怖いと思う光景を絡めるように自分で思い描いてしまうものなのだ、なので話だけを聞いて怖さにおののくというのは内側から湧き上がる怖さなのである、これは映像で見せられるよりも長く尾を引く。
子供の頃の、見つめる静かな闇夜の奥に見えてはいけない異界のものが見えてきそうな思いに足が竦むような怖さは自分自身の情操教育に役だっていたはずだと今では思う。
あの闇夜から連想や想像する怖さの対象は、どうにも抗えない自然への畏怖の念に重なるものがあり、今に至るまでその思いは崩れぬままなのである。
子供には奥底の欠片すら見えぬ溺れ沈みそうな暗闇の怖さを教えてあげて欲しい、形を成さぬ概念だけにしろ「こわい」という感覚を養って欲しい。
目に見えるものや直に触れることができるものしか信用しない子供が増えた今、もっと視野を広げ、感性豊かな人として成長してくれればと思っているのだ。
そして、願わくば大人になった時に、己が暗闇の怖さに震え、自然と自分との距離を知った時のように後世を担う子供らに「こわい」という感覚を教えて欲しいのだ。
2014年8月11日月曜日
雲の上のスーパームーン
撮れるものならと待ち構えていた午前0時10分過ぎ、カメラを手にベランダに出て南の空を探して・・・みるまでもなく手摺りが雨で濡れているのを確認、腕を伸ばせば生ぬるそうな雨粒がポツリと肌に当たる。
空は街の明るさに照らされて低く濁っていて最接近のスーパームーンは撮れず仕舞いだった。
雲に隠れて見えないけれど今夜はいつもより大きく明るい月がある、地味ながら潮の満ち干きにも影響しているのだ、距離が近いのだから作用する引力だって強くなるからである。
確か2011年のイギリスで数隻の船が座礁した事故はスーパームーンの影響だと言われていたが実のところどうなのだろう、直接的には僅かでも、地形なり潮の流れなりのせいで影響は大きくなったのかもしれない、結局のところ座礁事故との因果関係ははっきりしてないままなのだけれど。
津波を起こすような地震との関連があると主張する人もいる、これも因果関係ははっきりしない。
最接近ではないものの、なるべく距離の近い月を狙って明日の、たとえば午後8時15分はどうだろう、既に3800kmほど遠ざかってはいるけれど晴れていれば高度の低い赤みを帯びた大きな十六夜が撮れるかもしれない。
もし、撮れたなら、また皆さんにお裾分け。
ちなみに次回のスーパームーンは2015年9月28日で今年よりもまだ接近、さらにその次は2016年11月14日で2015年よりももっと接近、2011年の最接近よりも近いのだ、楽しみである。
(追記)
午前1時40分頃に月が見えてきたので雲を透かして1枚パチリ。
太古の昔は目視で山のような大きな月が晴れた夜空に昇っていたそうだ、今よりも近い場所にあったので確かにそうだろう、地球にはまだ初期の生物しかいなくて、1日が10時間くらいだった頃の話ですが。
月は年に3cmだっただろうか、遠ざかっているそうな、今の距離考えると気が遠くなる。
(さらに追記)
午前3時20分、きれいに晴れていたので更に1枚パチリ。
では仕事に行ってきます。
2014年8月8日金曜日
ナマズさん
今朝、仕事が一段落して一息ついている時に業者の人と話をしていたら「俺が仕事終わって家に帰る頃に子供が目を覚まして起きてくる」と言い、その小学生の子供が「夜遅くまでゲームしている、夏休みなのでだらけている」と続ける。
「朝のラジオ体操は?」と訊けば、「それはもうずっとやっていない(町内で)」とのこと。
子供の数が減った今でもてっきり続いているのだと思っていたら、もうやめてしまった所も多いようで。
ずっと昔の夏休みの朝、寝惚けたままラジオ体操に出てきて小さな用紙にハンコを貰っていた自分の小学生当時を思い出す、町内でも何ヶ所かに分けてでないと無理なほど近所に子供が多かった頃のこと。
たまに夜更しして出て来ない子には「ナマズさんが出てくるぞ」と近所の同年代の子らが脅かすこともあった。
行儀が悪かったり、悪戯をしたり、親の言いつけを守らない子には夜に鰯町(いわしまち)の川岸から這い上がってきたナマズの化物に祟られるという子供の間だけの怖い話、その姿は悪い子にしか見えず、見てしまうと熱が出て数日寝込むのだと言う。
斜向いのお宅の子犬に絵の具で落書きをした町内の子は、翌日に夏風邪らしく寝込んだ際に「犬に悪戯をしたから」と理由を口にし、夜に窓から自分を覗き込むナマズさんの姿を見たと言い、そう信じていた。
誰が最初に思いついたのかも分からぬ話だけど子供を恐怖心で縛るには効果満点だった。
当時ですら既に無い町名「鰯町」を使っているところからナマズさんの話は更に相当古いものだと思う、面白いことに隣町の子は同じ話を知っているけれど、そのまた隣町ではほとんど知られていないという点。
今だからこそ那珂川の汽水域から這い上がり、世の不届き者を睨みつけてくれれば・・・と思うこともある。
先にも書いた通り「鰯町」という名の町はもう存在しない、那珂川の河口近くの東側で、今の大黒橋の袂からの須崎町で、那珂川に面していた狭い町だったらしい。
その町名を知る人はもうほとんどいないでしょうけど。
「朝のラジオ体操は?」と訊けば、「それはもうずっとやっていない(町内で)」とのこと。
子供の数が減った今でもてっきり続いているのだと思っていたら、もうやめてしまった所も多いようで。
ずっと昔の夏休みの朝、寝惚けたままラジオ体操に出てきて小さな用紙にハンコを貰っていた自分の小学生当時を思い出す、町内でも何ヶ所かに分けてでないと無理なほど近所に子供が多かった頃のこと。
たまに夜更しして出て来ない子には「ナマズさんが出てくるぞ」と近所の同年代の子らが脅かすこともあった。
行儀が悪かったり、悪戯をしたり、親の言いつけを守らない子には夜に鰯町(いわしまち)の川岸から這い上がってきたナマズの化物に祟られるという子供の間だけの怖い話、その姿は悪い子にしか見えず、見てしまうと熱が出て数日寝込むのだと言う。
斜向いのお宅の子犬に絵の具で落書きをした町内の子は、翌日に夏風邪らしく寝込んだ際に「犬に悪戯をしたから」と理由を口にし、夜に窓から自分を覗き込むナマズさんの姿を見たと言い、そう信じていた。
誰が最初に思いついたのかも分からぬ話だけど子供を恐怖心で縛るには効果満点だった。
当時ですら既に無い町名「鰯町」を使っているところからナマズさんの話は更に相当古いものだと思う、面白いことに隣町の子は同じ話を知っているけれど、そのまた隣町ではほとんど知られていないという点。
今だからこそ那珂川の汽水域から這い上がり、世の不届き者を睨みつけてくれれば・・・と思うこともある。
先にも書いた通り「鰯町」という名の町はもう存在しない、那珂川の河口近くの東側で、今の大黒橋の袂からの須崎町で、那珂川に面していた狭い町だったらしい。
その町名を知る人はもうほとんどいないでしょうけど。
2014年8月7日木曜日
立秋と夕立
この夏、福岡は昨年ほどの暑い夏にはならなかった、雨が多く、抜けるような快晴だった日は覚えているのは7月も終わりがけの1日だけ。
日本全域で見ても暑さは小笠原気団に覆われて晴れの日差しで・・・というよりも、台風へ遠回りで流れ込む南風のフェーンのせいだった地点のほうが多かったはず。
近づく台風と、しつこく居座る前線のせいで雲に覆われる日が目立ち、そうこうしている内に暦は秋を迎えてしまった。
それなりの暑さは何度も「残暑」という名に化けて戻っては来るけれど。
そして今日の天気図、晩夏に接近し遠ざかれば初秋を肌で感じさせるような台風混じりのそれである。
飯塚や粕屋では夕立で一気に涼しくなったと言う、日が傾き始めてからの篠突く雨、輻射熱も失せて気温は低めで、だけど湿度が高そうで、今夜は軽めの除湿運転向きの夜になるだろう。
そんな暑くない夏だったのが電気料金の明細にも出ている、使用料がなんと前年比で20%ほども少なかったのだ、確かにエアコンを使う回数と時間が少なかったなと思う、夜など扇風機で充分だった日が続いたし。
昨年はフル稼働状態だったというのに。
さて、天気図の台風11号、アジア名を「ハーロン」と言う、台風委員会に加盟している14カ国がそれぞれ10の名前を用意し、それを順に並べ、1つ発生するごとに名前も1つ進めて名付けるというシステム。
14カ国*名前10個=全部で140の名前。
今回はそうやって用意された140の名前のうちの56番目で「ハーロン」(ベトナムが名付けた)、次の12号が発生すれば名前の順も1つ進んで57番目で「ナクリー」(カンボジアが名付けた)となる仕組み。
以後、13号なら「フンシェン」(中国)、14号なら「カルマエギ」(北朝鮮)・・・と続く。
140全部使いきったらどうなるか・・・、また最初に戻るのである、ちなみに「ハーロン」は湾の名前だそうで、知らなかった。
日本が準備した名前はなぜだか全て星座の名前のようで、89番目には「コップ」などというものがある、「コップ座」というのがあるのか(!)、それも知らなかった。
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