福岡市の水は不味い。
消毒用に添加された塩素臭がするのは仕方ないのだが、気温と共に水温も上がればなんとなくだがカビ臭さのようなものを感じてしまうので余計に不味いのである。
これがどこぞの名水のように山の麓の輝くような湧き水であればそんなこともないのだろうけど。
とはいえ、きれいな水なら一律で美味しいかと言えばそうとは限らない、福岡市東区の海水淡水化施設「まみずピア」では日々大量の真水が海水から作られているが、出来上がった水はピュア過ぎて美味しくないらしい。
そこで、普通の真水とブレンドして市内に配水しているという。
そして今日、生まれて初めてペットボトルの水を飲んだ、「水は蛇口から」というのが当たり前で、わざわざ金を出して水を買うなどというのは考えたことなどなかったけれど、頭痛薬を飲まんがために500mlで90円弱の天然水を買った。
仕事場で使う水は別途浄水器を通しているので特に不味いということはないけれど、今日買った水ははっきりと美味しい、何がどう違うのかと訊かれれば具体的に答えるのは難しいのだけれど確かに違う。
・・・プラセボ効果だろうか?
いいや、匂いではなく香りのようなものを感じる、微妙に成分も違っているはず、それ故か無味のはずなのに美味しいと感じる。
福岡では高価でややこしい浄水器を通して臭いを取り除き、ミネラル豊富な活性石のような濾材を通してでないと美味しさが出てこないけれど、天然のままで不味さが無いどころか美味しさを感じる水は全国各地にあるのだろうと思う。
近い場所なら大分や熊本にはきれいな湧き水があちこちから湧いている、わざわざ遠くから汲みに来る人もいるほどなので美味しい水なのだろう。
ペットボトルの水を口に含んですぐに違いを感じ、少し驚いてしまったそんな宵の内、頭痛で薬を飲む必要など無かったなら、これから先もペットボトルの水の味など知らぬままだっただろうと思う。
ペットボトル入りのお茶ならよく買っているのだけれど。
2009年4月25日土曜日
豆炭の謎
午前中に実家へ里帰り中の友人と暫し電話で話しをする、仕事の都合で暦通りの連休がとれず、よそより早めのゴールデンウィークだと言う。
景気の悪さに話が移った時に「君のところは不況知らずなのが羨ましいなどと言うので」つい「そんなことはない、必死豆炭だ」と言い返すと「まめたん?」と話があらぬ方向へ飛んでしまった。
てっきり広く使われていると思っていたが、それを打ち砕いたのが一昨年(?)の城島(マリナーズ)の「必死豆炭で追い掛けます」という発言に対する「必死豆炭って何?」という他所での反応。
必死豆炭=必死になって頑張るという意味、とはいえ「豆炭」だけで「頑張る」という意味はなさない、豆炭だけならあくまで燃料としてのそれなのだ。
そもそもなぜ「豆炭」なのだろう?
「必死練炭」や「必死木炭」、「必死石炭」などとは言わない、「マメに頑張る」などの「マメ」を継いでいるのだとか、豆炭は着火しにくく燃えるまであれこれ頑張らなくてはならないから・・・等と諸説あるけれど、どれも今ひとつピンと来ない、なので確かなことは分からない、生活の中で受け継いできた言葉なので特に語源について考えたこともなかった。
・・・今となっては豆炭や練炭などを知らぬ人もたくさんいそうな気もしますが。
そう、年代による境がありそうな気がするのだ、20代は使わないし知らないだろう、30代は知っているかもしれないが使わないだろう、40代ならもしかすれば使うかもしれない、50代なら抵抗なく使うだろう、60代以上は当たり前の日常の言葉だったりして。
改めて考えてみれば不思議な言葉、「豆炭」である理由はさておいて、なぜ主に福岡(もっと広く九州北部か?)に偏って使われているのだろう、なんとも面白いことである。
豆炭は日本全国どこにだってありそうなのに。
この豆炭の謎に対抗できるのは大阪の「レンコン」くらいではなかろうか、何故そうなのだという点に於いて、その両者は互角な気がする。
景気の悪さに話が移った時に「君のところは不況知らずなのが羨ましいなどと言うので」つい「そんなことはない、必死豆炭だ」と言い返すと「まめたん?」と話があらぬ方向へ飛んでしまった。
てっきり広く使われていると思っていたが、それを打ち砕いたのが一昨年(?)の城島(マリナーズ)の「必死豆炭で追い掛けます」という発言に対する「必死豆炭って何?」という他所での反応。
必死豆炭=必死になって頑張るという意味、とはいえ「豆炭」だけで「頑張る」という意味はなさない、豆炭だけならあくまで燃料としてのそれなのだ。
そもそもなぜ「豆炭」なのだろう?
「必死練炭」や「必死木炭」、「必死石炭」などとは言わない、「マメに頑張る」などの「マメ」を継いでいるのだとか、豆炭は着火しにくく燃えるまであれこれ頑張らなくてはならないから・・・等と諸説あるけれど、どれも今ひとつピンと来ない、なので確かなことは分からない、生活の中で受け継いできた言葉なので特に語源について考えたこともなかった。
・・・今となっては豆炭や練炭などを知らぬ人もたくさんいそうな気もしますが。
そう、年代による境がありそうな気がするのだ、20代は使わないし知らないだろう、30代は知っているかもしれないが使わないだろう、40代ならもしかすれば使うかもしれない、50代なら抵抗なく使うだろう、60代以上は当たり前の日常の言葉だったりして。
改めて考えてみれば不思議な言葉、「豆炭」である理由はさておいて、なぜ主に福岡(もっと広く九州北部か?)に偏って使われているのだろう、なんとも面白いことである。
豆炭は日本全国どこにだってありそうなのに。
この豆炭の謎に対抗できるのは大阪の「レンコン」くらいではなかろうか、何故そうなのだという点に於いて、その両者は互角な気がする。
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