2012年9月30日日曜日

無言の”こんにちは”

しっかりとした雨脚の日曜日、それでも地下を通れば濡れずにあちこち移動可能な天神へと正午前から地下鉄で出掛けた、目的は毎年秋の恒例イベントとなった「ミュージックシティ天神」、その2日目なのである。

あちこちでいろんな演目を楽しめるけれど、今日の私のお目当ては大丸福岡天神店のパサージュ広場、ここなら雨でも大丈夫で、しかもジャズの生演奏ばかりなのが楽しみ。

2012年9月4日火曜日

おくりびと

私はmixiも利用している。

一時期ほどの勢いはもうないけれど、それでも相当数の会員数を抱えるSNSともなるとまさにひとつの社会のようなもの、年代も社会や生活の環境も人さまざま、笑っている人もいれば泣いている人もいる。

多様な人が同時に存在していて個々と諸々が寄り集まってのひとつの社会。

さて、その中を歩いていると思いがけぬ人に辿り着いてしまうことがあるのだ、例えば同じハンドルの人であったり、趣味が同じであったり、昔親しかった人だったりと。

ですが時に今日のような残念な場合もある、既に他界されたかただったのだ。

トップ画像ではそれまでと同じように笑顔のままだというのに、友人からの紹介文や最後の日記には途中から惜別の言葉が並ぶのは何れの人も同じ、読み進むにつれ寂しく切なくなってくる、マイミクシィとして繋がりのあった人たちの中にはリアルでの付き合いを持っていたというのも少なくないはず。

仮に、突然の出来事にmixiの退会手続きなどとれぬ事態が我が身に起こったとすれば、もうこの世に残したものなど何も心配することなどできぬとは言え、個人的にはmixi上に引き止められたままのような状態ではなく、是非ともなるべく早く”私”を退会させて眠らせてくれぬものかと・・・。

ずっと繋がっていたいかたの気持ちはよく分かるが、私の場合ならきっと退会を願う。

mixiの退会は本人の手続きによるのがmixiの決まりなのでどうすることもできないけれど、もし私が急逝し、自分ではどうにもできなくなったら・・・他にも方法で私を葬って欲しいのだ。

それはマイミクシィさんが1人もいなくなった場合、ある一定の期間を経て自動的に退会となってしまうという仕組みを使うのである、それもまたmixiの決まりなのだ。

具体的にはマイミクシィとして繋がっている皆が私との繋がりを解除して欲しいのである、私のマイミクシィがゼロになれば、後日私はmixiを退会となり眠ることができる。

こんな寂しいことを書いてしまったのはトップ画像の笑みと亡くなられた現実の落差に背を押されてのこと、暗い投稿で申し訳ない。