2012年3月31日土曜日
三分咲き
なんだか急に花の数を増した桜、福岡では街の川沿いだろうが郊外の公園だろうがどこも桜の花が目立ってきた、隣り合っていてもは早めだ遅めだと開花にムラがあるので一概には言えぬが、それでも総じて三分咲を越えたかといったところ。
当初予定していた週末の花見会は1日ズレて日曜となったものの、却って満開と重なりそうな気がしないでもない、・・・気がかりなのは天気、降水確率40%というのがなんとも微妙。
夏の30%は平気だが冬や春先のはどうだろう。
昼間が随分と暖かく、日差しのある場所では上着を羽織った背中がやや暑い、そういえば体格の良い早足な人が半袖で歩いているのを午後に見付けた。
今日はやや強めに吹く乾いた風で干した洗濯物が面白いほど早く乾く。
そろそろハエやハチが活動を始め、実家にはアダンソン君(ハエトリグモ)の姿も戻って来る頃。
明日の予想最高気温は19度らしい、今日より更に上がって初夏に届きそう、日差しのある場所ではやはり暑かろう。
着るものは薄手のもので充分だと思う、着るものが軽くなると気分まで軽くなる、出かけるのが一層楽しい。
能古島の話を聞いた、桜のあとにはツツジがきれいらしい、弁当を使ってお昼を過ごす人も多いのだとか、だが注意、知っている人もたくさんいるのだが鳶が弁当を狙うのだという。
急降下してきた鳶に弁当を荒らされれば子供あたりは間違いなく怖がるだろう、なにしろ危ないではないか。
狙われやすい見晴らしの良い広い場所などは特に注意、屋根の下などでは狙われにくいという、そう、確かにそれだと上空から急降下で弁当の中身を盗みにくかろう。
それともうひとつ、草むらに敷物を敷いてのんびりするのは気持ちが良い、だがマダニに注意。
敷物はあってもマダニが寄ってきて噛まれるというのも充分あり得る話、実際、これくらいの陽気になるとちょっとした草の生えた場所などを網でさらうとマダニが捕まるものなのだ。
野山の散歩などの後、帰宅後はイボのようなものがどこかに付いていないか確認するべし、見つけたら無理に引っ張らず皮膚科へ。>皆様
2012年3月10日土曜日
錆釘
昨年の8月某日、夜に出掛けた自宅近所に自転車を停めていた数時間の内に、何者かに虫ゴムを外されてタイヤの空気を抜かれるというイタズラをされたことがある。
徒歩で帰宅するにはゆっくりの速度で20分弱、ズルズルと音をたてる後輪を時折持ち上げながら帰った夜だった。
私はその出来事を4人の友人に話したのだった、Aは「今度はもっと別なとこに停めなきゃ」と言い、Bは「そんなこともあるよ」と言った、Cは「どうしてそんなことするのかね」と顔をしかめ、Dは「俺もやられたことある」とその時のことを話してくれた。
それら4人は、私がそこへ出掛けた際に自転車をどこに停めるのかを知っている。
そして今日の昼過ぎ、所用で出掛けた県庁近くで1時間ほどの空き時間にラテを飲みながら一緒に過ごした友人と、お互いの親兄弟のことでしんみりとした話が過ぎようかとしたあたりで、向かい側に座る友人が唐突に「去年あの自転車の空気抜いたのは俺」と、明かすのでした。
それまでの話の流れとはまるで関係なしに。
告白したのは「友人B」なのである、「目が点になる」という使い古された言い回しがあるけれど、その時がまさにそう。
「ごめん」と謝り、続けて「俺ね」と理由を述べ始めようとしたので「もういいから」と遮った、今まで言い出しにくかった事を、やっとの思いで告白した相手の気持ちを気遣ったから・・・などではない。
今更知ってもという考えがあった上に、理由を知れば何か思い悩みそうな気がして、聞かぬほうが良いのだという咄嗟の判断から。
実はそんな行為に及んだ友人Bの、その時点の心情について推するところがあったりもする、だから、余計に聞かぬほうが良い、何故今思い切って明かしたのかは解らない。
それまでと変わりなくあの8月以降も誘い誘われ食事や飲みに行動を共にしていた友人B、いつも通りに笑って話してはいたけれど、内心バカなことをしたものだと時々はチクチクと痛い思いをしていたのではなかろうか、そんな仕業を知ったこちらも同じ程には痛いのだけれど。
些細な傷のくせに沁みるように何日も痛かった錆釘での傷みたく。
まだ存分に若かったある日、立秋を過ぎてもなお暑かった日の浜辺を音楽を聴きながら歩いていて木目のきれいな板切れを拾い上げたことがある、が、裏に釘が出ていて人差し指の側面を傷付けてしまった、真新しく表面が平滑な釘ではなく、潮に晒された赤錆色のそれで。
友人Bの告白とてその傷のようにすぐに滲んで褪せてしまうのだけれど、しばらくは痕だけが微かに残りそうで、見える内はその度に何か思いそうなのが少しばかり複雑ではある。
徒歩で帰宅するにはゆっくりの速度で20分弱、ズルズルと音をたてる後輪を時折持ち上げながら帰った夜だった。
私はその出来事を4人の友人に話したのだった、Aは「今度はもっと別なとこに停めなきゃ」と言い、Bは「そんなこともあるよ」と言った、Cは「どうしてそんなことするのかね」と顔をしかめ、Dは「俺もやられたことある」とその時のことを話してくれた。
それら4人は、私がそこへ出掛けた際に自転車をどこに停めるのかを知っている。
そして今日の昼過ぎ、所用で出掛けた県庁近くで1時間ほどの空き時間にラテを飲みながら一緒に過ごした友人と、お互いの親兄弟のことでしんみりとした話が過ぎようかとしたあたりで、向かい側に座る友人が唐突に「去年あの自転車の空気抜いたのは俺」と、明かすのでした。
それまでの話の流れとはまるで関係なしに。
告白したのは「友人B」なのである、「目が点になる」という使い古された言い回しがあるけれど、その時がまさにそう。
「ごめん」と謝り、続けて「俺ね」と理由を述べ始めようとしたので「もういいから」と遮った、今まで言い出しにくかった事を、やっとの思いで告白した相手の気持ちを気遣ったから・・・などではない。
今更知ってもという考えがあった上に、理由を知れば何か思い悩みそうな気がして、聞かぬほうが良いのだという咄嗟の判断から。
実はそんな行為に及んだ友人Bの、その時点の心情について推するところがあったりもする、だから、余計に聞かぬほうが良い、何故今思い切って明かしたのかは解らない。
それまでと変わりなくあの8月以降も誘い誘われ食事や飲みに行動を共にしていた友人B、いつも通りに笑って話してはいたけれど、内心バカなことをしたものだと時々はチクチクと痛い思いをしていたのではなかろうか、そんな仕業を知ったこちらも同じ程には痛いのだけれど。
些細な傷のくせに沁みるように何日も痛かった錆釘での傷みたく。
まだ存分に若かったある日、立秋を過ぎてもなお暑かった日の浜辺を音楽を聴きながら歩いていて木目のきれいな板切れを拾い上げたことがある、が、裏に釘が出ていて人差し指の側面を傷付けてしまった、真新しく表面が平滑な釘ではなく、潮に晒された赤錆色のそれで。
友人Bの告白とてその傷のようにすぐに滲んで褪せてしまうのだけれど、しばらくは痕だけが微かに残りそうで、見える内はその度に何か思いそうなのが少しばかり複雑ではある。
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