JRというよりも昔の国鉄の・・・といった趣の駅前を眺めていると、通りの向かいの小さな店で買ったソフトクリームをひとつずつ両手に持ち、幅の狭い一方通行の車道を渡って笑いながら友人が早足でやって来た。
ここのところメールでしか連絡をとっていなかった人なのに今日はこうやっていい歳をした中年2人で駅前にいる。
やや暑く、地面の照り返しが目にしみるほど眩しい晴れの日で、どこからか鉄を削るような焼ける匂いが漂ってくる、そういう音は聞こえないけれど。
差し出された片方のソフトクリームを受け取り、駅舎の軒に沿って並んで歩き始めたところで、つい先程まで私の近くにいた背の高い見知らぬ男が「次ですよ」とはっきりとそう言ったのだ。
2人とも後ろを振り返った、一瞬私に言ったのかと思ったが友人にだったらしい、でも友人はすかさず「まだです」と男に返した、面識のある人なのだろうか? 「次ですよ」と言われて「まだです」と返せるのは何の話なのかを解っているからである、何度か男と友人の顔を交互に見て、そしてまた並んで歩き始めた。
そこで友人に「次って何だ」と訊けば、溶け始めたソフトクリームを気にしながらも答えようとしたところへ徐々に音を大きくしながら先程の一方通行の車道を救急車が通り過ぎて行く、音も車体の照り返しの輝きも非常にシャープで、あまりにも音が大きくなったことに驚いて・・・目がさめた。
夢だったのだ。
まだ表は暗い、テレビで夜更かしのまま眠ってしまっていた、近所の大通りを救急車がサイレンを鳴らしながら通って行く、途中でスピードを落としたのかなかなか遠ざからず大きく長く聞こえていた。
またしても夢の中の出来事と現実がシンクロして夢が途切れてしまった、そもそも普段だと見た夢など内容はほとんど覚えていないのに、いきなり目がさめると覚えていることもある、今日のがそうだ。
二度寝をすると忘れてしまいそうなので、目が冴えている今のうちにこうやって書き残しておくことにする。
「次って何だ」の答えを聞く前に目がさめてしまったのがなんとなく惜しい、それが何なのかを知りたい、だけど、それよりも笑いながらソフトクリームをくれた友人に会いたいのだ、1歳ちょっと年上だった彼に私は年齢で追いついてしまった、夢の中では笑う顔も声も、バイクの鍵に付けてあるキーホルダーの輪に人差し指を挿してクルクル回す癖だってよく知っているあのままなのだ、それなのにどうしてそんなに早く亡くなってしまったのだと時が経つにつれ寂しさが増してくる。
若くして他界した人を「逝くには早過ぎる」と言われることはよくあること、今まではそう言う気持ちは理解できていてもどこか他人事だと捉えていたが、この友人の件については痛切に我が身のこととしてそれを感じるのだ、あまりにも早過ぎる。
今年は初盆ではないか、私は死後の世界など無いと思っている、火葬されれば水蒸気と煙と灰になって終わるだけだと信じている、それなのに彼に限ってはいわゆる「あの世」で楽しく過ごしていて欲しいと願っている。
私は仕事と人に疲れた晩年の彼を見てきた、だからこそ笑って楽しく過ごしていて欲しい。
今は何をしているだろう? 彼と並んで笑って話せるのは目ざめた時に覚えているかどうかわからぬ夢の中だけになってしまったけれど。
そう、いつかまた夢の中に現れて、他愛もない話で笑い、はっと夢からさめて、私はまた寂しい思いをするのだと思う。