2017年9月30日土曜日

外れなくなったらどうするのだろう

PCでエロ動画を見た、よく覗く海外のエロサイトで素人さんの投稿動画が毎日山ほど入ってくる、フィルタで素敵な同年代の太めさんを選り出しては楽しませてもらっている。

見ていて多いな思うのがコックリングで締めている人だ、外人さんはそれが好きなのだろう。

2017年9月29日金曜日

漂う異臭

天気がいい日は仕事場へはなるべく歩いて行くようにしている、帰りは寄り道や遅くなったりで地下鉄を使うこともあるが、それでもできれば帰りも歩くようにしている。

帰りのルートは最短距離か、少し遠回りして元実家町内を通過するルートかのどちらかを通る、今日は時間に余裕があったので元実家町内を経由した、途中で必ず橋を渡らなくてはならないが、今日はその橋が近づくにつれ風に乗って異臭が漂ってくるのだった、ガスやオイルといったケミカルなものではない、何かが腐った臭いだ。

2017年9月28日木曜日

尽くせば愛してもらえるという錯誤

以前から時々見ていた某ブログ、数日前の更新で片思いの相手を諦めましたという話が書いてあった、この数ヶ月というもの休日を相手に合わせるためにずらして映画に誘ったり、ランチや飲みに誘ったり、日帰り出張のお土産を何度も買ってきたりで頑張っているのに相手は自分のほうを向いてはくれないという嘆きだった。

ブログ主にとって相手は理想そのものの同年代で、相手からすればブログ主は少し年齢は高めになるが守備範囲に違いないと断言している、なのでいろいろと頑張ったということなのだろう、その上で相手を「酷い男」や「人の気持ちがわからない男」と断じ、食事に使った金額を明かして「利用された」とも書いてあった。

2017年9月27日水曜日

「は」のほうが簡単だぞ

仕事が終わってスマホを覗くと某ゲイ同士の出会い系アプリに新着メッセージが届いていた、開いてみると市内からだという私と同じ五十路の人からだった、内容はいわゆる通りがかりの人からの挨拶メッセージだったのだが、その中に最近よく見掛ける不思議な1文字を見付けた。

「ゎ」である、「自分ゎ市内に住む・・・」という具合だった、助詞の「は」の意味合いで使っている文字だ、もちろん誤変換では出てこない文字だろうから敢えてそうしているということになる。

これは使い分けで難しい助詞の「は」と「が」の関係うんぬん以前のものだ。

2017年9月26日火曜日

映画:「チョコレート・ドーナツ」

アメリカでは2012年に公開されたというこの映画の日本での公開は2014年、だが、私はこの映画については作品の内容を全く知らなかった、観た人の評価も知らなかった、全く予備知識なしでの鑑賞である。


あらすじ:

映画は人形を抱いて夜の街を歩く男の後ろ姿から始まる、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったようでその足取りは重い、その男は暗い川にかかる橋の欄干で途方に暮れるのだった。

ある夜のゲイバーではプロのシンガーを夢見る男がステージで歌っていた、名をルディという、そこで客としてやって来たポールと惹かれ合い、出会ったその日に車の中でデキてしまった、ルディはポールが検察官であることを知り、別れ際には名刺を貰った。

アパートに戻ってみると近くの部屋からの音楽がうるさいのでルディは苦情を入れたが逆に罵られてしまう、翌朝家賃を取りにきた大家に叩き起こされたルディは斜向かいの部屋がうるさいのでなんとかしてくれと言うが取り合ってもらえないので自ら部屋に入って音楽を止めた、その時出会ったのが育児放棄されたマルコというダウン症の少年だった、ルディはマルコを放っておけず昨晩出会った名刺を頼りにポールにどうするべきかと案を求めるがつれない態度に失望しアパートへ戻ってしまう、そこでマルコの母親が薬物所持の罪で逮捕されたことを知り、マルコは行政によって保護され施設へ送られることになってしまった。

ところが、保護とは名ばかりの、さも家畜でも追い立てるようにマルコを引き取る様子にルディは不愉快になるとともに不憫さを一層募らせるのだった。

夜に再びゲイバーでルディが歌っているとポールが先般の冷たい態度を詫びに来ていた、ルディはポールを許しお互いの身の上話をし、ポールの車でアパートへ送ってもらう途中で偶然にもマルコが夜の街を歩いているのを目にし驚くのだった、施設から逃げ出したマルコを送り返すには忍びなく、ただ平穏に暮らしたいというささやかなマルコの願いと、それを実現するのが正義だと信じる2人は監護権を得ようと奮闘するのだった。


ただ平穏に暮らし、その日々の中で幸せに生きていたいという願いを持つのは誰しも同じこと、ただ、現実はそう簡単ではなくうまくはいかない、ゲイと障害者というマイノリティに属する人たちではなおのこと難しい、そういう現実に翻弄される人たちを描いたものだった。

ダウン症であるマルコには健康上の問題が少なくないことを納得し、食事に気を配り、単語の綴を教え、おやすみとベッドに寝かしつけ、おはようと朝を迎える、そんな2人の監護権を得たいという心情と努力には理解を示しつつも、杓子定規な法の解釈のもとではそう簡単な話ではないことが実にもどかしい。

また、法廷での判事には多少なりとも私見が混じっているようではあったという感じはする。

2人の監護権取得をなんとしても阻止しようとする敵対弁護士が執拗に2人が公序良俗に反する品行のゲイでありマルコにとって悪影響を与えるので監護権は不適当だと突いてくるのが腹立たしい。

そんな暫定的な監護権下で2人と暮らすマルコが生まれて初めて持ったであろう自分の部屋に入った時に「ぼくのうち?」と背後の2人に訊き、「そうよ、ここがおうちよ」とルディが答えると嬉しさから泣き出すマルコの姿に胸が締め付けられる思いがした。

この映画の結末はどうなるのだろうと考え、何通りもの展開を思い描いてみたのだが、結局は私の予想とは別の終わり方をした、そして、その終盤に登場するシーンのひとつはこの映画の中で既に観た光景であることに気付いたのだった。

どういった光景で、どういう結末なのかはこれから観る人が確かめて欲しい。

映画の締めはポールが監護権獲得の件に関わった人たちへ手紙を送り、ルディはステージで歌っていた、文面がどうだったのか、歌はどうだったのか、これもまた観る人が確かめて欲しい。

ルディ役のアラン・カミングが実に素晴らしかった。

原題は「Any Day Now」、そう、そのうち、いつの日か。