先の大震災以来世の中省エネ推進運動継続中である、電気になるべく頼らず真夏の猛暑を少しでも涼しくする方法として日当たりの良い壁側や窓側にアサガオやキュウリを植えるという話が町内会で出たそうだ(私は仕事で参加できなかった)、ゴーヤを植えるというのもあるらしい。
他には観賞用のカボチャ(そんなものがあるのか)やヘチマとか。
知人宅での過去の失敗例の話も出て、その時は園芸店で買ってきた「アイビー」というよく知られた観葉植物を鉢から抜いて壁際に植えたそうで、ものの2週間ほどで伸びに伸びて屋根まで届き、あとは放っておくだけで面積がどんどん拡大、冬の寒さもなんのその、春にはまた勢いよく伸びて壁一面が緑の葉に覆われたという。
なんという旺盛な繁殖力、勝てるのは葛ぐらいしかないのではなかろうか(!)。
最初のうちはそれを喜んでいたのですが、ますます茂って鬱陶しくなり、いざ取り去ろうとしたら・・・大変なことに壁の一部が剥がれてしまったらしい。
レンガ造りの洋館だったらレンガの色合いにはアイビーの緑がよく映えて似合うだろうし壁の強度についても問題ないだろうけれど、木造だったりモルタル造りの日本の住宅には全く向きそうもない。
それに、日差しは遮られて涼しくはなったけれど、蔓を伝って虫やトカゲが部屋に入って来るので怖かったという。
その失敗例のお宅は千代町にあるそうで、いまはすっかり取り除いてはいるものの、よーく見れば・・・蔓の跡が筋状に残っていてたぶんもう消えないとか。
植えるならアサガオ程度が無難だろう、もっと覆って欲しいのであれば琉球アサガオなんかも良い、秋にだって花を咲かせるしよく茂る、収穫の楽しみが欲しければキュウリかゴーヤか?
剥がす時に壁が痛まないような造りであればいろいろと楽しめるとは思う。
そうそう、夏の省エネについて町内会の出席者で「昼間のクーラーを止めたいならイオンに行って寝る」と冗談を言った人がいたらしい。
いい案だ、可笑しくて笑った。
2012年4月2日月曜日
賢い鳥
今朝は実家から直接仕事場へ向かった、もうこのくらいの時期ともなれば日の出の時刻も早い、それより更に10分近く早くに家を出たとしても既に明るい東の空、薄明の下では歩道のブロック敷きの継ぎ目も容易く数えられるほどである。
那珂川を渡って天神に入り、須崎公園を横切る途中でいよいよ夜が明けた、そこでカラスが1羽ベンチの下から何かを引っ張り出しているのを目撃。
ごみだろうか、そうだ、あれはごみ、2つか3つおにぎりを入れて惣菜売り場に並んでいる華奢なプラスチックの容器だった。
私が少し近寄ったところで警戒したのかカラスは一旦動きを止めてこちらを凝視、でもすぐにまたごみを突き始めた。
容器の中には少しだけ何かが残っていて、それを食べようとしているのだが輪ゴムがかけてあるのでうまく取り出せずにいる様子、嘴で輪ゴムを引っ張れば容器もほんの一瞬遅れてゴムに引かれて自分のほうへ付いて来る、何度やってもその繰り返しで輪ゴムは外れない。
カラスは一旦諦めてあたりを窺っている、今度はすぐ傍の植え込みの段差のあたりへ容器を引っ張り、ぴょんと反対側に回って段差を壁にみたてて容器をピタリと押し付けた。
・・・と、カラスは段差の上にひょいと乗り、そこから輪ゴムを引っ張り始めたのだった、輪ゴムを引っ張っても本体のプラスチック容器は段差にせき止められて動かない、輪ゴムだけが自分のほうへと移動するのだ、結局1回目の挑戦で輪ゴムは容易く外れてしまい、容器は自然と貝のように開いたのである。
どこからかその様子を見ていた別のカラスが中身を横盗りしに舞い降りて来たので元のカラスは慌てて戦利品を銜えて飛んで行った。
実に賢い鳥だと思う、うちの近所の猫が囮役のカラスに気を取られているうちに餌を持って行かれてしまったり、上空から小石を落とされていじめられるのも仕方ないのかもという気がしてきた。
今朝のその一部始終を目の当たりにし、人間としてあの鳥に負けぬように頭も使わねば・・・と思った次第である。
那珂川を渡って天神に入り、須崎公園を横切る途中でいよいよ夜が明けた、そこでカラスが1羽ベンチの下から何かを引っ張り出しているのを目撃。
ごみだろうか、そうだ、あれはごみ、2つか3つおにぎりを入れて惣菜売り場に並んでいる華奢なプラスチックの容器だった。
私が少し近寄ったところで警戒したのかカラスは一旦動きを止めてこちらを凝視、でもすぐにまたごみを突き始めた。
容器の中には少しだけ何かが残っていて、それを食べようとしているのだが輪ゴムがかけてあるのでうまく取り出せずにいる様子、嘴で輪ゴムを引っ張れば容器もほんの一瞬遅れてゴムに引かれて自分のほうへ付いて来る、何度やってもその繰り返しで輪ゴムは外れない。
カラスは一旦諦めてあたりを窺っている、今度はすぐ傍の植え込みの段差のあたりへ容器を引っ張り、ぴょんと反対側に回って段差を壁にみたてて容器をピタリと押し付けた。
・・・と、カラスは段差の上にひょいと乗り、そこから輪ゴムを引っ張り始めたのだった、輪ゴムを引っ張っても本体のプラスチック容器は段差にせき止められて動かない、輪ゴムだけが自分のほうへと移動するのだ、結局1回目の挑戦で輪ゴムは容易く外れてしまい、容器は自然と貝のように開いたのである。
どこからかその様子を見ていた別のカラスが中身を横盗りしに舞い降りて来たので元のカラスは慌てて戦利品を銜えて飛んで行った。
実に賢い鳥だと思う、うちの近所の猫が囮役のカラスに気を取られているうちに餌を持って行かれてしまったり、上空から小石を落とされていじめられるのも仕方ないのかもという気がしてきた。
今朝のその一部始終を目の当たりにし、人間としてあの鳥に負けぬように頭も使わねば・・・と思った次第である。
2012年3月31日土曜日
三分咲き
なんだか急に花の数を増した桜、福岡では街の川沿いだろうが郊外の公園だろうがどこも桜の花が目立ってきた、隣り合っていてもは早めだ遅めだと開花にムラがあるので一概には言えぬが、それでも総じて三分咲を越えたかといったところ。
当初予定していた週末の花見会は1日ズレて日曜となったものの、却って満開と重なりそうな気がしないでもない、・・・気がかりなのは天気、降水確率40%というのがなんとも微妙。
夏の30%は平気だが冬や春先のはどうだろう。
昼間が随分と暖かく、日差しのある場所では上着を羽織った背中がやや暑い、そういえば体格の良い早足な人が半袖で歩いているのを午後に見付けた。
今日はやや強めに吹く乾いた風で干した洗濯物が面白いほど早く乾く。
そろそろハエやハチが活動を始め、実家にはアダンソン君(ハエトリグモ)の姿も戻って来る頃。
明日の予想最高気温は19度らしい、今日より更に上がって初夏に届きそう、日差しのある場所ではやはり暑かろう。
着るものは薄手のもので充分だと思う、着るものが軽くなると気分まで軽くなる、出かけるのが一層楽しい。
能古島の話を聞いた、桜のあとにはツツジがきれいらしい、弁当を使ってお昼を過ごす人も多いのだとか、だが注意、知っている人もたくさんいるのだが鳶が弁当を狙うのだという。
急降下してきた鳶に弁当を荒らされれば子供あたりは間違いなく怖がるだろう、なにしろ危ないではないか。
狙われやすい見晴らしの良い広い場所などは特に注意、屋根の下などでは狙われにくいという、そう、確かにそれだと上空から急降下で弁当の中身を盗みにくかろう。
それともうひとつ、草むらに敷物を敷いてのんびりするのは気持ちが良い、だがマダニに注意。
敷物はあってもマダニが寄ってきて噛まれるというのも充分あり得る話、実際、これくらいの陽気になるとちょっとした草の生えた場所などを網でさらうとマダニが捕まるものなのだ。
野山の散歩などの後、帰宅後はイボのようなものがどこかに付いていないか確認するべし、見つけたら無理に引っ張らず皮膚科へ。>皆様
2012年3月10日土曜日
錆釘
昨年の8月某日、夜に出掛けた自宅近所に自転車を停めていた数時間の内に、何者かに虫ゴムを外されてタイヤの空気を抜かれるというイタズラをされたことがある。
徒歩で帰宅するにはゆっくりの速度で20分弱、ズルズルと音をたてる後輪を時折持ち上げながら帰った夜だった。
私はその出来事を4人の友人に話したのだった、Aは「今度はもっと別なとこに停めなきゃ」と言い、Bは「そんなこともあるよ」と言った、Cは「どうしてそんなことするのかね」と顔をしかめ、Dは「俺もやられたことある」とその時のことを話してくれた。
それら4人は、私がそこへ出掛けた際に自転車をどこに停めるのかを知っている。
そして今日の昼過ぎ、所用で出掛けた県庁近くで1時間ほどの空き時間にラテを飲みながら一緒に過ごした友人と、お互いの親兄弟のことでしんみりとした話が過ぎようかとしたあたりで、向かい側に座る友人が唐突に「去年あの自転車の空気抜いたのは俺」と、明かすのでした。
それまでの話の流れとはまるで関係なしに。
告白したのは「友人B」なのである、「目が点になる」という使い古された言い回しがあるけれど、その時がまさにそう。
「ごめん」と謝り、続けて「俺ね」と理由を述べ始めようとしたので「もういいから」と遮った、今まで言い出しにくかった事を、やっとの思いで告白した相手の気持ちを気遣ったから・・・などではない。
今更知ってもという考えがあった上に、理由を知れば何か思い悩みそうな気がして、聞かぬほうが良いのだという咄嗟の判断から。
実はそんな行為に及んだ友人Bの、その時点の心情について推するところがあったりもする、だから、余計に聞かぬほうが良い、何故今思い切って明かしたのかは解らない。
それまでと変わりなくあの8月以降も誘い誘われ食事や飲みに行動を共にしていた友人B、いつも通りに笑って話してはいたけれど、内心バカなことをしたものだと時々はチクチクと痛い思いをしていたのではなかろうか、そんな仕業を知ったこちらも同じ程には痛いのだけれど。
些細な傷のくせに沁みるように何日も痛かった錆釘での傷みたく。
まだ存分に若かったある日、立秋を過ぎてもなお暑かった日の浜辺を音楽を聴きながら歩いていて木目のきれいな板切れを拾い上げたことがある、が、裏に釘が出ていて人差し指の側面を傷付けてしまった、真新しく表面が平滑な釘ではなく、潮に晒された赤錆色のそれで。
友人Bの告白とてその傷のようにすぐに滲んで褪せてしまうのだけれど、しばらくは痕だけが微かに残りそうで、見える内はその度に何か思いそうなのが少しばかり複雑ではある。
徒歩で帰宅するにはゆっくりの速度で20分弱、ズルズルと音をたてる後輪を時折持ち上げながら帰った夜だった。
私はその出来事を4人の友人に話したのだった、Aは「今度はもっと別なとこに停めなきゃ」と言い、Bは「そんなこともあるよ」と言った、Cは「どうしてそんなことするのかね」と顔をしかめ、Dは「俺もやられたことある」とその時のことを話してくれた。
それら4人は、私がそこへ出掛けた際に自転車をどこに停めるのかを知っている。
そして今日の昼過ぎ、所用で出掛けた県庁近くで1時間ほどの空き時間にラテを飲みながら一緒に過ごした友人と、お互いの親兄弟のことでしんみりとした話が過ぎようかとしたあたりで、向かい側に座る友人が唐突に「去年あの自転車の空気抜いたのは俺」と、明かすのでした。
それまでの話の流れとはまるで関係なしに。
告白したのは「友人B」なのである、「目が点になる」という使い古された言い回しがあるけれど、その時がまさにそう。
「ごめん」と謝り、続けて「俺ね」と理由を述べ始めようとしたので「もういいから」と遮った、今まで言い出しにくかった事を、やっとの思いで告白した相手の気持ちを気遣ったから・・・などではない。
今更知ってもという考えがあった上に、理由を知れば何か思い悩みそうな気がして、聞かぬほうが良いのだという咄嗟の判断から。
実はそんな行為に及んだ友人Bの、その時点の心情について推するところがあったりもする、だから、余計に聞かぬほうが良い、何故今思い切って明かしたのかは解らない。
それまでと変わりなくあの8月以降も誘い誘われ食事や飲みに行動を共にしていた友人B、いつも通りに笑って話してはいたけれど、内心バカなことをしたものだと時々はチクチクと痛い思いをしていたのではなかろうか、そんな仕業を知ったこちらも同じ程には痛いのだけれど。
些細な傷のくせに沁みるように何日も痛かった錆釘での傷みたく。
まだ存分に若かったある日、立秋を過ぎてもなお暑かった日の浜辺を音楽を聴きながら歩いていて木目のきれいな板切れを拾い上げたことがある、が、裏に釘が出ていて人差し指の側面を傷付けてしまった、真新しく表面が平滑な釘ではなく、潮に晒された赤錆色のそれで。
友人Bの告白とてその傷のようにすぐに滲んで褪せてしまうのだけれど、しばらくは痕だけが微かに残りそうで、見える内はその度に何か思いそうなのが少しばかり複雑ではある。
2011年7月25日月曜日
「例え」に現れるあなた
仕事帰りのコンビニ、そこから表に出てきたのは20代半ばくらいの男性が2人、彼らは私と同じ方向へ歩いて行く、ただし、2人は話をしながらのんびり歩いているのでこちらのほうが歩みは速い。
ほどなく彼らを追い越そうかというあたりで髪のやや短いほうが「うわー酸っぱいなーこれ」と手にした緑色のボトルをまじまじと見ながら言う、髪の長いほうが「そんなに? どれくらいですか?」と訊けば、「pH(ペーハー)3ぐらいかも」と答える、そこで返ってきたのは「あ、俺それは無理ですねー」という反応。
この2人は酸っぱさを具体的なpHで伝えて理解できている、pH3の酸っぱさを経験として共有している2人なのだ。
学生風ではないので社会人で何かしらの研究職か、化学業に携わる人なのか、はてさてどんな人たちなのだろう。
何気ない言葉の中にその人が置かれた社会や生活環境が見えてくることがある、見えずともぼんやりとベクトルだけ伝わるということのほうが圧倒的に多いのだけれど。
街中で連れ立って歩く若い子らを輸入サザエみたいだと言った海産物販売店の営業員や、長かったフランス生活から戻って来た知人がアスファルトを低い位置から照らす夕陽を焼き栗色だと言ったのもそういうことなのだ。
某音楽家はテレビの対談で「あなた今日はイ短調で喋っているけど元気ですか?」と言った、イ短調がどういうものなのかは私には理解できないが、分かる人には分かるのだろう。
誰かとの会話の中で「おや?」と思うような例えや表現を耳にしたら、そこを敢えて細かく問うよりまず覚えておいて、後から思い出してその人の背景を思い描くのも結構楽しかったりする。
そんな楽しみも織り交ぜつつ賢い人との会話は機微に富んで本当に楽しい、なにより洗練されている、もののたとえを自分の豊富な経験で代替させて表現してくれる。
もしそれが相手に伝わらなければ別の言葉で言い換えてくれる賢さがある、それと同時に聞くのも上手だ。
「pH3」に情感は乏しいけれど、化学や物理や理数だって自然法則の一部なのだと解釈すればややこしい数式の解法だって流麗なショパンの楽譜に思えてくるのかも。
ほどなく彼らを追い越そうかというあたりで髪のやや短いほうが「うわー酸っぱいなーこれ」と手にした緑色のボトルをまじまじと見ながら言う、髪の長いほうが「そんなに? どれくらいですか?」と訊けば、「pH(ペーハー)3ぐらいかも」と答える、そこで返ってきたのは「あ、俺それは無理ですねー」という反応。
この2人は酸っぱさを具体的なpHで伝えて理解できている、pH3の酸っぱさを経験として共有している2人なのだ。
学生風ではないので社会人で何かしらの研究職か、化学業に携わる人なのか、はてさてどんな人たちなのだろう。
何気ない言葉の中にその人が置かれた社会や生活環境が見えてくることがある、見えずともぼんやりとベクトルだけ伝わるということのほうが圧倒的に多いのだけれど。
街中で連れ立って歩く若い子らを輸入サザエみたいだと言った海産物販売店の営業員や、長かったフランス生活から戻って来た知人がアスファルトを低い位置から照らす夕陽を焼き栗色だと言ったのもそういうことなのだ。
某音楽家はテレビの対談で「あなた今日はイ短調で喋っているけど元気ですか?」と言った、イ短調がどういうものなのかは私には理解できないが、分かる人には分かるのだろう。
誰かとの会話の中で「おや?」と思うような例えや表現を耳にしたら、そこを敢えて細かく問うよりまず覚えておいて、後から思い出してその人の背景を思い描くのも結構楽しかったりする。
そんな楽しみも織り交ぜつつ賢い人との会話は機微に富んで本当に楽しい、なにより洗練されている、もののたとえを自分の豊富な経験で代替させて表現してくれる。
もしそれが相手に伝わらなければ別の言葉で言い換えてくれる賢さがある、それと同時に聞くのも上手だ。
「pH3」に情感は乏しいけれど、化学や物理や理数だって自然法則の一部なのだと解釈すればややこしい数式の解法だって流麗なショパンの楽譜に思えてくるのかも。
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