今日は昼で仕事を終えて私用で久々に県庁近くの九州大学附属病院まで、いつもなら独りなのだが小糠雨降り止まぬ今日は姪が一緒だった。
駐車場へ入るまでの遅めのワイパーの音とラジオを聞き分けながらの待ち時間、お喋りと曲の後にいつものジングルが流れて放送内容はお天気コーナーへ、DJではないアナウンサーなのであろう、発音が明瞭で滑舌の良い女性が北部九州の明日にかけての予報を淡々と伝えていました。
「北寄りの風やや強く、未明、所により雨が降るでしょう」・・・、それを聞いて姪が溜息ひとつ「また傘を持って行かないと」と言う、そんな時刻にどこへ行くのかと訊けば明日は仕事だからと答える。
昼間の会社で働いているのにどうしてそんな幽霊が出そうな時刻に出掛けるのかと訊き直せば・・・、「『未明』って夜のことだったの?」。
姪は「未明」をいつなのかははっきりしない時間帯のことだと思っていたらしい、だから「未明に雨が降る」は「朝なのか昼なのか夕方なのか、何時頃だとはわからないけどとにかく雨が降る」のだと。
「未明」は午前0時~3時ぐらいの、夜が明ける前の深夜帯のことを指す、・・・まあ、確かに解り難い言葉かもしれない。
数年前から「午前3時頃まで」を「未明」と言うようになった、時間帯については他にはどんな表現を使っているかといえば「夜遅く」や「明け方」は確かに使っている、「昼過ぎ」もそうだが「夕方過ぎ」は無かろう、きっと「夜の始め頃」が使われるに違いない。
もっと幅を持たせて「一日中」は使うだろうか、いや「終日」のほうがしっくりくる、「一晩中」も使わないだろう。
さらに幅を持たせて「数日間」は・・・いや、これはないな。
逆に「宵の内」を「夜のはじめ頃」と言うようにもなった、表現から風情が褪せてしまったけれど分かりやすさ優先という点で納得。
考えるとなにかとややこしいが、微妙な時間帯を表現できるのは間違いない、聞く側がそれらの言葉と時間帯を正しく知っていないと伝わらないけれど。
2015年4月5日日曜日
映画:「いのちの食べかた」
日々の食卓に登場するお馴染みの食材が、いったいどういう過程を経て「食べ物」として生産されているのかを記録したドキュメンタリーである。
効果音や音楽の挿入などはない、それどころか台詞もナレーションですらないのである、聞こえているのは純粋に現場の音のみ、作業の音や機械の音だったり、ただ淡々と記録された映像を見せている映画。
なので紹介するべきあらすじは無い。
ところがそれが逆に新鮮で、他に気をとられることが無いので記録されている映像とその流れに集中できるのだ、BGMで作為的に印象を操作しようなどということもない。
野菜も人工施設で計画的に栽培されるようになり、数えきれないほどの鶏も、干し草を噛む牛も、子だくさんの豚も食料の原型としてそこに記録されていた。
この映画に現代の食料生産計画に対する異論だとか、肉食は止めましょうなどという意図は無く、ただ単に日々口にしているものがどうやって店頭に並んでいるのかを知らせているだけで、そこからどう思うのかは個々に任された部分なのだと思う。
そんな途中の経過を知っていても何ら役にはたたないかもしれない、でも、知っていれば食べ物のありがたみを思い知るには役立つに違いない。
たとえば豚肉、箸で摘み上げた一切れの肉が硬いだの筋が多くて不味いだのと言う前に、その肉を供してくれた豚は自ら望んで屠畜解体されたわけではないということを意識し、決して粗末にすることなく無駄なく食するということは食物連鎖の下位に属した全ての生き物に対して責任ある正しい姿勢で、自分が元気で暮らせているのはそれらの命のお陰なのだと再認識も可能なはず。
合間に挟まれる現場の従事者の作業や休憩時間の何気ない表情などの様子が、そこでの私達には見慣れぬ作業と工程はそういった仕事を生業としている人々の生活の一端なのだと現実味を帯びさせる、巧みな編集なり。
地味な映画ですが大変強力で、どうにも曲げようも隠しようものない素のままのドキュメンタリーだった。
リンク:「いのちの食べかた」
効果音や音楽の挿入などはない、それどころか台詞もナレーションですらないのである、聞こえているのは純粋に現場の音のみ、作業の音や機械の音だったり、ただ淡々と記録された映像を見せている映画。
なので紹介するべきあらすじは無い。
ところがそれが逆に新鮮で、他に気をとられることが無いので記録されている映像とその流れに集中できるのだ、BGMで作為的に印象を操作しようなどということもない。
野菜も人工施設で計画的に栽培されるようになり、数えきれないほどの鶏も、干し草を噛む牛も、子だくさんの豚も食料の原型としてそこに記録されていた。
この映画に現代の食料生産計画に対する異論だとか、肉食は止めましょうなどという意図は無く、ただ単に日々口にしているものがどうやって店頭に並んでいるのかを知らせているだけで、そこからどう思うのかは個々に任された部分なのだと思う。
そんな途中の経過を知っていても何ら役にはたたないかもしれない、でも、知っていれば食べ物のありがたみを思い知るには役立つに違いない。
たとえば豚肉、箸で摘み上げた一切れの肉が硬いだの筋が多くて不味いだのと言う前に、その肉を供してくれた豚は自ら望んで屠畜解体されたわけではないということを意識し、決して粗末にすることなく無駄なく食するということは食物連鎖の下位に属した全ての生き物に対して責任ある正しい姿勢で、自分が元気で暮らせているのはそれらの命のお陰なのだと再認識も可能なはず。
合間に挟まれる現場の従事者の作業や休憩時間の何気ない表情などの様子が、そこでの私達には見慣れぬ作業と工程はそういった仕事を生業としている人々の生活の一端なのだと現実味を帯びさせる、巧みな編集なり。
地味な映画ですが大変強力で、どうにも曲げようも隠しようものない素のままのドキュメンタリーだった。
リンク:「いのちの食べかた」
2015年4月4日土曜日
AIIB不参加は良い選択
中国主導で設立されたAIIB、日本は参加を見合わせることにしたらしい。
相変わらずマスコミは「乗り遅れぬように参加を」と戯言が五月蝿い、が、それに惑わされてはいけない、見た目だけの泥船に乗るにはまことに愚かなこと、もし参加すれば出資だけはたんまりとさせられ、それでいて発言権などろくに無く、便利に使われるだけの参加国になってしまうのは想像するに容易い。
中国が出資の50%を担うと言っているのだが極めて懐疑的、外貨準備高は急激に減少している、はったりばかりで実のところそんなには金はなかろう、信用のないローカルカレンシーの金を大量に刷れば済む話ではない、偽札ばかりな気もするし。
中国は日本とアメリカ、とりわけ日本からの出資をアテにしているのだと思う、万が一参加させるのに成功したら、ああだこうだと難癖をつけて離脱させぬよう工作すると思う。
そもそも各国から中国への投資は減り続け、外資が逃げ始め、デフレ色も濃くなって、もうバブルがはじけそうな感じになってきるのは素人目にもわかること。
客観的に見て中国の好景気はどこにあるのだ? 空き家だらけのビルではなかろう、在庫の山で倒産寸前な業者揃いのレアアース関連でもなかろう、格安スマホにしたってそうそう伸び代があるわけでもない、よそからの技術を使うことはできても自前で開発がままならない国なのだ。
一方で中国発表の経済指標では危うさはまだ見えないけれど、これもゴテゴテに粉飾されていそうなので全く信用できない。
なにより、主導が中国共産党下の中国なのだ、国を挙げて各国にサイバーテロを仕掛けるような国ではないか、その事実だけでもう「ダメ」なのだ。
現実として中国は友好国などではなく敵国だと解釈している、笑顔で握手を求めてきても信じるなかれ、敵国とは距離を置くべき。
日本はADBのみで頑張ればそれで良いのだ、信頼の置ける銀行役となって世界に貢献できればそれでよい、ほら、実績だって申し分ないのである、AIIB不参加国と上手に付き合って真面目にコツコツとやればよいのである。
相変わらずマスコミは「乗り遅れぬように参加を」と戯言が五月蝿い、が、それに惑わされてはいけない、見た目だけの泥船に乗るにはまことに愚かなこと、もし参加すれば出資だけはたんまりとさせられ、それでいて発言権などろくに無く、便利に使われるだけの参加国になってしまうのは想像するに容易い。
中国が出資の50%を担うと言っているのだが極めて懐疑的、外貨準備高は急激に減少している、はったりばかりで実のところそんなには金はなかろう、信用のないローカルカレンシーの金を大量に刷れば済む話ではない、偽札ばかりな気もするし。
中国は日本とアメリカ、とりわけ日本からの出資をアテにしているのだと思う、万が一参加させるのに成功したら、ああだこうだと難癖をつけて離脱させぬよう工作すると思う。
そもそも各国から中国への投資は減り続け、外資が逃げ始め、デフレ色も濃くなって、もうバブルがはじけそうな感じになってきるのは素人目にもわかること。
客観的に見て中国の好景気はどこにあるのだ? 空き家だらけのビルではなかろう、在庫の山で倒産寸前な業者揃いのレアアース関連でもなかろう、格安スマホにしたってそうそう伸び代があるわけでもない、よそからの技術を使うことはできても自前で開発がままならない国なのだ。
一方で中国発表の経済指標では危うさはまだ見えないけれど、これもゴテゴテに粉飾されていそうなので全く信用できない。
なにより、主導が中国共産党下の中国なのだ、国を挙げて各国にサイバーテロを仕掛けるような国ではないか、その事実だけでもう「ダメ」なのだ。
現実として中国は友好国などではなく敵国だと解釈している、笑顔で握手を求めてきても信じるなかれ、敵国とは距離を置くべき。
日本はADBのみで頑張ればそれで良いのだ、信頼の置ける銀行役となって世界に貢献できればそれでよい、ほら、実績だって申し分ないのである、AIIB不参加国と上手に付き合って真面目にコツコツとやればよいのである。
2015年4月3日金曜日
手動引っ越し開始
よそのSNSからの引っ越しを始めた、mixiからである、こちらのブログサービス(Blogger)は引っ越しツールなど無いので過去の投稿はぽつりぽつりと手動で。
ここを選んだ理由は良く言えばシンプル、悪く言えば素っ気なさに尽きる、そのままの状態ではスッピン過ぎて味気ないという点が好みに合致したから。
無料でありながら広告が出ない点は特に素晴らしい、減らせるというレベルではない、出ないのである。
派手なカスタマイズが可能なブログサービスも楽しいけれど、選択肢が多すぎるよりも少し足りないなというレベルのほうがしっくりくるのだ。
その一方で、このシンプルさは私にはマイナスにもなり得る、ブログの文章に軽快さや明るさが乏しいらしいのだ、まあ、結構年代もののオヤジ日記なのでその点はご了承いただきたい。
・・・と、そもそもなぜmixiから引っ越そうと決めたのかを書いておこうと思う、mixiでは「日記」という機能で日々のあれこれを書いていた、それを閲覧可能なのはマイミクシィとして繋がっている仲間たちだけ。
私はことあるごとに「見るのもコメントを書くのも気が向いた時だけにしてください」と言っていたのだが、日記の更新があると必ずコメントを書くのが当たり前だ=何か書かなくてはならないと思っている人たちがいて、そうやって絞りだされたコメントを見ていて不憫になってきたせいなのだ。
そんなに気を遣って頑張らずともよいのに・・・と、思っていたのだ。
また、逆に、マイミクシィさんが日記の更新をした時に見に行って、「なるほど、そうか」とは思うが特にコメントをすることもなくスルーするとメッセージで「見に来ましたよね? でも無言なんですか?」とクレームめいたことを言われて辟易したことが幾度かあった、そんなの自由にさせればいいものを。
いちいち足あとをチェックされるのも面倒だったのもある。
なので引っ越しだ、コメントも、イイネも、自発的にすすんでしたい時にすればよい世界にやって来た次第。
過去の投稿もおいおい充実(引っ越し)させてゆくので、このブログが目に止まり、第三者の目を通した日々の雑感をつまんでみたくなったらどうぞお越しください。
ここを選んだ理由は良く言えばシンプル、悪く言えば素っ気なさに尽きる、そのままの状態ではスッピン過ぎて味気ないという点が好みに合致したから。
無料でありながら広告が出ない点は特に素晴らしい、減らせるというレベルではない、出ないのである。
派手なカスタマイズが可能なブログサービスも楽しいけれど、選択肢が多すぎるよりも少し足りないなというレベルのほうがしっくりくるのだ。
その一方で、このシンプルさは私にはマイナスにもなり得る、ブログの文章に軽快さや明るさが乏しいらしいのだ、まあ、結構年代もののオヤジ日記なのでその点はご了承いただきたい。
・・・と、そもそもなぜmixiから引っ越そうと決めたのかを書いておこうと思う、mixiでは「日記」という機能で日々のあれこれを書いていた、それを閲覧可能なのはマイミクシィとして繋がっている仲間たちだけ。
私はことあるごとに「見るのもコメントを書くのも気が向いた時だけにしてください」と言っていたのだが、日記の更新があると必ずコメントを書くのが当たり前だ=何か書かなくてはならないと思っている人たちがいて、そうやって絞りだされたコメントを見ていて不憫になってきたせいなのだ。
そんなに気を遣って頑張らずともよいのに・・・と、思っていたのだ。
また、逆に、マイミクシィさんが日記の更新をした時に見に行って、「なるほど、そうか」とは思うが特にコメントをすることもなくスルーするとメッセージで「見に来ましたよね? でも無言なんですか?」とクレームめいたことを言われて辟易したことが幾度かあった、そんなの自由にさせればいいものを。
いちいち足あとをチェックされるのも面倒だったのもある。
なので引っ越しだ、コメントも、イイネも、自発的にすすんでしたい時にすればよい世界にやって来た次第。
過去の投稿もおいおい充実(引っ越し)させてゆくので、このブログが目に止まり、第三者の目を通した日々の雑感をつまんでみたくなったらどうぞお越しください。
2015年4月1日水曜日
日曜か月曜か
実家に来ていた姪が「カレンダー見てて思ったんだけど、ほらここ、なんで左端が日曜日から始まってるの?」・・・と訊いてきた。
「週の始まりが日曜日だからだ」と答えると「どうして? 月曜から始まるんじゃないの?」と驚いていた。
なるほど、週の始まりの解釈は人によって違うけれど、姪っ子の場合は休日明けで仕事も始める月曜日が週の始まりなのだ、私は週の始まり=日曜日から。
町内会でも「来週の日曜日は・・・」と町内の予定を話す時には、数日後の日曜のことなのか、数日+1週間後の日曜なのかをはっきりさせなければならない時がある。
たとえば、今日(17日)の町内会で「来週の日曜日」と言えば、週の始まりを日曜日とすれば23日になるのだが、週の始まりが月曜日であれば30日ということになってしまう、個々なりの解釈で2つにわかれてしまうことが起きてしまう、それだと困るのではっきりと「○日の日曜日は・・・」と言うようにしている。
週の始まりについては定義があるのかどうかはよくわからない、国や宗教によっても違うらしい、カレンダーを見てもアメリカは日曜日から始まり、フランスでは月曜日から始まったりで、何の宗教かは忘れたが金曜日が週の始まり(終わり?)というところもあるらしい。
いろんな理由でバラバラになっている週の始まり、個人的には日曜日だとは思っていても、世の中全体では圧倒的に「それは月曜日から」という人のほうが多そうではある。
学校はほぼ全て、仕事も大部分が月曜日から始まるだろうから理解できるし、そう考えるのは自然なことだとも思う。
週の始まりがそうなのだから週末についてもまた同じ、私の場合「今度の週末は」と言えば土曜日のことを指すが、週の始まり=月曜日な人によっては日曜日ということになる。
中には土・日曜日が休みな人の場合、どどんと金曜日から日曜日がまるごと週末だと思っている人もいるのでは・・・、いや、そこまではさすがにいないか。
「週の始まりが日曜日だからだ」と答えると「どうして? 月曜から始まるんじゃないの?」と驚いていた。
なるほど、週の始まりの解釈は人によって違うけれど、姪っ子の場合は休日明けで仕事も始める月曜日が週の始まりなのだ、私は週の始まり=日曜日から。
町内会でも「来週の日曜日は・・・」と町内の予定を話す時には、数日後の日曜のことなのか、数日+1週間後の日曜なのかをはっきりさせなければならない時がある。
たとえば、今日(17日)の町内会で「来週の日曜日」と言えば、週の始まりを日曜日とすれば23日になるのだが、週の始まりが月曜日であれば30日ということになってしまう、個々なりの解釈で2つにわかれてしまうことが起きてしまう、それだと困るのではっきりと「○日の日曜日は・・・」と言うようにしている。
週の始まりについては定義があるのかどうかはよくわからない、国や宗教によっても違うらしい、カレンダーを見てもアメリカは日曜日から始まり、フランスでは月曜日から始まったりで、何の宗教かは忘れたが金曜日が週の始まり(終わり?)というところもあるらしい。
いろんな理由でバラバラになっている週の始まり、個人的には日曜日だとは思っていても、世の中全体では圧倒的に「それは月曜日から」という人のほうが多そうではある。
学校はほぼ全て、仕事も大部分が月曜日から始まるだろうから理解できるし、そう考えるのは自然なことだとも思う。
週の始まりがそうなのだから週末についてもまた同じ、私の場合「今度の週末は」と言えば土曜日のことを指すが、週の始まり=月曜日な人によっては日曜日ということになる。
中には土・日曜日が休みな人の場合、どどんと金曜日から日曜日がまるごと週末だと思っている人もいるのでは・・・、いや、そこまではさすがにいないか。
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