2014年8月7日木曜日
立秋と夕立
この夏、福岡は昨年ほどの暑い夏にはならなかった、雨が多く、抜けるような快晴だった日は覚えているのは7月も終わりがけの1日だけ。
日本全域で見ても暑さは小笠原気団に覆われて晴れの日差しで・・・というよりも、台風へ遠回りで流れ込む南風のフェーンのせいだった地点のほうが多かったはず。
近づく台風と、しつこく居座る前線のせいで雲に覆われる日が目立ち、そうこうしている内に暦は秋を迎えてしまった。
それなりの暑さは何度も「残暑」という名に化けて戻っては来るけれど。
そして今日の天気図、晩夏に接近し遠ざかれば初秋を肌で感じさせるような台風混じりのそれである。
飯塚や粕屋では夕立で一気に涼しくなったと言う、日が傾き始めてからの篠突く雨、輻射熱も失せて気温は低めで、だけど湿度が高そうで、今夜は軽めの除湿運転向きの夜になるだろう。
そんな暑くない夏だったのが電気料金の明細にも出ている、使用料がなんと前年比で20%ほども少なかったのだ、確かにエアコンを使う回数と時間が少なかったなと思う、夜など扇風機で充分だった日が続いたし。
昨年はフル稼働状態だったというのに。
さて、天気図の台風11号、アジア名を「ハーロン」と言う、台風委員会に加盟している14カ国がそれぞれ10の名前を用意し、それを順に並べ、1つ発生するごとに名前も1つ進めて名付けるというシステム。
14カ国*名前10個=全部で140の名前。
今回はそうやって用意された140の名前のうちの56番目で「ハーロン」(ベトナムが名付けた)、次の12号が発生すれば名前の順も1つ進んで57番目で「ナクリー」(カンボジアが名付けた)となる仕組み。
以後、13号なら「フンシェン」(中国)、14号なら「カルマエギ」(北朝鮮)・・・と続く。
140全部使いきったらどうなるか・・・、また最初に戻るのである、ちなみに「ハーロン」は湾の名前だそうで、知らなかった。
日本が準備した名前はなぜだか全て星座の名前のようで、89番目には「コップ」などというものがある、「コップ座」というのがあるのか(!)、それも知らなかった。
2014年7月30日水曜日
わさびよりも生姜
鍋にお湯を沸かし、片や急冷用の氷水を用意、小皿に小葱と下ろし生姜も用意したのは全て夕食の素麺のため。
こんな暑い日は手の込んだものなど面倒くさくて何も作りたくない、暑さだけでなんとなく疲れてしまうのだ、なので今日は手間のかかりそうなもや油ギトギトなしつこそうなものは避けて簡単に済ませます。
友人で素麺には生姜という人は少ない、ほとんどわさびなのである、もちろんわさびも美味しいのですが、私は生姜そのものが好きなので素麺にも欠かせない。
生姜の消費量はかなりのもの、煮物(青魚やレバー)には特によく合う、これを読んでいる方々もよくご存知のはず。
鶏の唐揚げ用の下ごしらえにも欠かせない。
あんまり好きなので冷奴や焼肉にたっぷり添えて食べたら・・・お腹を壊したことがある、意外と刺激が強そうで腹も驚いたのであろう、それ以来ほどほどにしている、まあ、これを読んでいる方々は腹を壊すようなそんな食べ方などしないであろうが。
さて、その「素麺」、隠れた美味しい組み合わせでは麺つゆに梅干やラッキョウの甘酢(ほんの少量)入れてみるという食べ方がある、たまに行く食堂のおばちゃんが教えてくれたのだ、友人にはタバスコを1滴垂らすと美味しくなると言う人もいる。
麺にメカブやオクラを乗せ、そこへ麺つゆを直にかけるという食べ方もなかなか美味しいもので、ヌルヌルが麺によくからんで食欲が無い時でもスルっと入る。
ごま油で手早く炒めるというのも焼きビーフンっぽくて美味しい、味付けはシンプルに塩とコショウ、具は細く切ったキャベツでも豚肉でも水っぽくならないのであればなんでも好きなものを。
ただし、焦げ付きやすいのでテフロン加工のフライパンが吉。
うだるような暑さで少しばかり疲れてしまい、今日は素麺と、鶏のササミと豆腐とシメジの煮物、それとキュウリと生姜の即席漬け(塩モミして絞っただけ)とであっさりとした夕食を済ませた。
ごちそうさまでした、明日も暑いのだろうか。
こんな暑い日は手の込んだものなど面倒くさくて何も作りたくない、暑さだけでなんとなく疲れてしまうのだ、なので今日は手間のかかりそうなもや油ギトギトなしつこそうなものは避けて簡単に済ませます。
友人で素麺には生姜という人は少ない、ほとんどわさびなのである、もちろんわさびも美味しいのですが、私は生姜そのものが好きなので素麺にも欠かせない。
生姜の消費量はかなりのもの、煮物(青魚やレバー)には特によく合う、これを読んでいる方々もよくご存知のはず。
鶏の唐揚げ用の下ごしらえにも欠かせない。
あんまり好きなので冷奴や焼肉にたっぷり添えて食べたら・・・お腹を壊したことがある、意外と刺激が強そうで腹も驚いたのであろう、それ以来ほどほどにしている、まあ、これを読んでいる方々は腹を壊すようなそんな食べ方などしないであろうが。
さて、その「素麺」、隠れた美味しい組み合わせでは麺つゆに梅干やラッキョウの甘酢(ほんの少量)入れてみるという食べ方がある、たまに行く食堂のおばちゃんが教えてくれたのだ、友人にはタバスコを1滴垂らすと美味しくなると言う人もいる。
麺にメカブやオクラを乗せ、そこへ麺つゆを直にかけるという食べ方もなかなか美味しいもので、ヌルヌルが麺によくからんで食欲が無い時でもスルっと入る。
ごま油で手早く炒めるというのも焼きビーフンっぽくて美味しい、味付けはシンプルに塩とコショウ、具は細く切ったキャベツでも豚肉でも水っぽくならないのであればなんでも好きなものを。
ただし、焦げ付きやすいのでテフロン加工のフライパンが吉。
うだるような暑さで少しばかり疲れてしまい、今日は素麺と、鶏のササミと豆腐とシメジの煮物、それとキュウリと生姜の即席漬け(塩モミして絞っただけ)とであっさりとした夕食を済ませた。
ごちそうさまでした、明日も暑いのだろうか。
2014年7月7日月曜日
消えぬ雫あと
畳んだ傘から勢い良く雫がボタボタと落ちる、その傘を玄関あたりの壁に立てかければ雫はコンクリートの通路を伝い、細い水の筋となり緩い傾斜に沿って排水口へと伸びて行った。
それが正午少し前のこと。
数時間後の夕方、傘の水気も切れた頃かと玄関内に入れようと手にしてみれば・・・まったく乾いていない、それどころか通路に伸びた水の筋は濡れたまま残っているではないか。
首回りや手のひらに纏わりつくようなこのじっとりとした湿気、湿度が高くて何もかも乾きようがないのだ、晴れていれば手洗い後に残った手の甲の水玉などよそ見をしている内に風に拐われてしまうというのに。
こんな日、実家では狭い庭の花壇にナメクジが出てくる、普段は花壇の縁のブロックあたりに潜んでいて、雨が続くと縁側近くにまでやってくる、ヘビやクモは平気で触れるのだがミミズやナメクジ、コウガイビルなどは気持ち悪くて無理である、あの粘液っぽいヌルヌルした感じが変な病原菌を持っていそうで嫌なのだ。
まあ、そんなもの好きで触る人など滅多にいないだろうけど。
雨続きで洗濯もなかなか思うようにならない、室内は外より若干温度が高いぶん逆に湿度はいくらか低いので風さえ回してあげれば洗濯物でもほとんど(完全ではない)乾かせる、残りの湿り気は乾燥機で力任せの仕上げ運転か。
そんな夕方は日没間際に数分だけ日差しが差し込んだ台所の窓辺、オレンジ色の夕陽で室内がパッと明るくなったひととき、日差しを手のひらに当ててみたのは何日ぶりだろう?
本当にわずか数分だけのことだった(1日でいいからすっきり晴れて欲しい)。
数日後に大型で強い台風が日本列島に沿って駆け抜けようとしているらしい、計算方法の違う2通りの進路予想は九州本土か本州への上陸を予想していて外れようがなくなってしまったのかもしれない。
先立って南西諸島は厳戒態勢なのだとか、シケの予想は波の高さで10mになるという、大きな被害が出ませんように、どうかご用心を。>皆様
2014年6月11日水曜日
白い吐息
早朝、仕事へ行く途中、那珂川を渡る橋の上では微風ながら川面に沿って博多湾から風がひたひたと入っていた、今朝の気温はとうとう20度を割らぬまま、梅雨時の低い雲の下で湿度が高いせいで歩く度に両肩のあたりで服が纏わり付く。
まさか寒いなどということはなく、動いていれば蒸し暑さすら感じるというのに己の吐息が街灯を逆行にした時に白く現れるのを確認、湿度が飽和しているのだ。
太平洋を渡って吹き寄せる南風が弱い時に起きる梅雨時の現象で、こういった梅雨を凌いだ夏は何故だか夜行性の虫が少ないのを経験則で承知している、夜の明るい窓辺に集まる数も若干減るはず。
虫嫌いな人にとっては嬉しい話だろう。
そういえばあと10日経てば夏至を迎え、この北半球では太陽が北回帰線に達する、・・・もうそんな季節だとは、早いなあと思う。
仕事場に着いて氷を入れた水を飲む、コップを置いてものの数分でびっしょりと結露していた、水がぬるくなるのも早い。
肌着代わりのTシャツでさえ湿気で肌に纏わりつくようで気持ちが悪かった。
昼になれば気温も上がって蒸し暑さが増すだろう、こういう日はさっぱりした食べ物が好まれるのが分かっている、これも経験則。
小鉢用に「あちゃら漬け」を用意した、昆布のだし汁に酢や砂糖と塩を足して煮立たせ、冷ました中に準備した野菜を入れておくだけの即席漬けのようなもの。
なんという簡単さ、一応博多の郷土料理ではある、名前の由来はポルトガル語らしい、そういえば博多の祭り「どんたく」はオランダ語だという、なぜ遠い国からの言葉が若干形を変えつつも定着したのだろう、どんな縁があったのか不思議である。
今日の野菜は湯通ししたレンコンに人参と大根、そして塩もみしたキュウリ、香り付けのショウガ、これだけ。
プチトマトやナスでも美味しい、オクラだってそう、今まで漬けて失敗だなと思ったものはいも類ぐらいか、里いもやじゃがいも、これはまずかった。
じっとりした季節には酸っぱいものが美味しい、気分もさっぱりするのだ。
まさか寒いなどということはなく、動いていれば蒸し暑さすら感じるというのに己の吐息が街灯を逆行にした時に白く現れるのを確認、湿度が飽和しているのだ。
太平洋を渡って吹き寄せる南風が弱い時に起きる梅雨時の現象で、こういった梅雨を凌いだ夏は何故だか夜行性の虫が少ないのを経験則で承知している、夜の明るい窓辺に集まる数も若干減るはず。
虫嫌いな人にとっては嬉しい話だろう。
そういえばあと10日経てば夏至を迎え、この北半球では太陽が北回帰線に達する、・・・もうそんな季節だとは、早いなあと思う。
仕事場に着いて氷を入れた水を飲む、コップを置いてものの数分でびっしょりと結露していた、水がぬるくなるのも早い。
肌着代わりのTシャツでさえ湿気で肌に纏わりつくようで気持ちが悪かった。
昼になれば気温も上がって蒸し暑さが増すだろう、こういう日はさっぱりした食べ物が好まれるのが分かっている、これも経験則。
小鉢用に「あちゃら漬け」を用意した、昆布のだし汁に酢や砂糖と塩を足して煮立たせ、冷ました中に準備した野菜を入れておくだけの即席漬けのようなもの。
なんという簡単さ、一応博多の郷土料理ではある、名前の由来はポルトガル語らしい、そういえば博多の祭り「どんたく」はオランダ語だという、なぜ遠い国からの言葉が若干形を変えつつも定着したのだろう、どんな縁があったのか不思議である。
今日の野菜は湯通ししたレンコンに人参と大根、そして塩もみしたキュウリ、香り付けのショウガ、これだけ。
プチトマトやナスでも美味しい、オクラだってそう、今まで漬けて失敗だなと思ったものはいも類ぐらいか、里いもやじゃがいも、これはまずかった。
じっとりした季節には酸っぱいものが美味しい、気分もさっぱりするのだ。
2014年5月13日火曜日
夢で逢いましょう
JRというよりも昔の国鉄の・・・といった趣の駅前を眺めていると、通りの向かいの小さな店で買ったソフトクリームをひとつずつ両手に持ち、幅の狭い一方通行の車道を渡って笑いながら友人が早足でやって来た。
ここのところメールでしか連絡をとっていなかった人なのに今日はこうやっていい歳をした中年2人で駅前にいる。
やや暑く、地面の照り返しが目にしみるほど眩しい晴れの日で、どこからか鉄を削るような焼ける匂いが漂ってくる、そういう音は聞こえないけれど。
差し出された片方のソフトクリームを受け取り、駅舎の軒に沿って並んで歩き始めたところで、つい先程まで私の近くにいた背の高い見知らぬ男が「次ですよ」とはっきりとそう言ったのだ。
2人とも後ろを振り返った、一瞬私に言ったのかと思ったが友人にだったらしい、でも友人はすかさず「まだです」と男に返した、面識のある人なのだろうか? 「次ですよ」と言われて「まだです」と返せるのは何の話なのかを解っているからである、何度か男と友人の顔を交互に見て、そしてまた並んで歩き始めた。
そこで友人に「次って何だ」と訊けば、溶け始めたソフトクリームを気にしながらも答えようとしたところへ徐々に音を大きくしながら先程の一方通行の車道を救急車が通り過ぎて行く、音も車体の照り返しの輝きも非常にシャープで、あまりにも音が大きくなったことに驚いて・・・目がさめた。
夢だったのだ。
まだ表は暗い、テレビで夜更かしのまま眠ってしまっていた、近所の大通りを救急車がサイレンを鳴らしながら通って行く、途中でスピードを落としたのかなかなか遠ざからず大きく長く聞こえていた。
またしても夢の中の出来事と現実がシンクロして夢が途切れてしまった、そもそも普段だと見た夢など内容はほとんど覚えていないのに、いきなり目がさめると覚えていることもある、今日のがそうだ。
二度寝をすると忘れてしまいそうなので、目が冴えている今のうちにこうやって書き残しておくことにする。
「次って何だ」の答えを聞く前に目がさめてしまったのがなんとなく惜しい、それが何なのかを知りたい、だけど、それよりも笑いながらソフトクリームをくれた友人に会いたいのだ、1歳ちょっと年上だった彼に私は年齢で追いついてしまった、夢の中では笑う顔も声も、バイクの鍵に付けてあるキーホルダーの輪に人差し指を挿してクルクル回す癖だってよく知っているあのままなのだ、それなのにどうしてそんなに早く亡くなってしまったのだと時が経つにつれ寂しさが増してくる。
若くして他界した人を「逝くには早過ぎる」と言われることはよくあること、今まではそう言う気持ちは理解できていてもどこか他人事だと捉えていたが、この友人の件については痛切に我が身のこととしてそれを感じるのだ、あまりにも早過ぎる。
今年は初盆ではないか、私は死後の世界など無いと思っている、火葬されれば水蒸気と煙と灰になって終わるだけだと信じている、それなのに彼に限ってはいわゆる「あの世」で楽しく過ごしていて欲しいと願っている。
私は仕事と人に疲れた晩年の彼を見てきた、だからこそ笑って楽しく過ごしていて欲しい。
今は何をしているだろう? 彼と並んで笑って話せるのは目ざめた時に覚えているかどうかわからぬ夢の中だけになってしまったけれど。
そう、いつかまた夢の中に現れて、他愛もない話で笑い、はっと夢からさめて、私はまた寂しい思いをするのだと思う。
ここのところメールでしか連絡をとっていなかった人なのに今日はこうやっていい歳をした中年2人で駅前にいる。
やや暑く、地面の照り返しが目にしみるほど眩しい晴れの日で、どこからか鉄を削るような焼ける匂いが漂ってくる、そういう音は聞こえないけれど。
差し出された片方のソフトクリームを受け取り、駅舎の軒に沿って並んで歩き始めたところで、つい先程まで私の近くにいた背の高い見知らぬ男が「次ですよ」とはっきりとそう言ったのだ。
2人とも後ろを振り返った、一瞬私に言ったのかと思ったが友人にだったらしい、でも友人はすかさず「まだです」と男に返した、面識のある人なのだろうか? 「次ですよ」と言われて「まだです」と返せるのは何の話なのかを解っているからである、何度か男と友人の顔を交互に見て、そしてまた並んで歩き始めた。
そこで友人に「次って何だ」と訊けば、溶け始めたソフトクリームを気にしながらも答えようとしたところへ徐々に音を大きくしながら先程の一方通行の車道を救急車が通り過ぎて行く、音も車体の照り返しの輝きも非常にシャープで、あまりにも音が大きくなったことに驚いて・・・目がさめた。
夢だったのだ。
まだ表は暗い、テレビで夜更かしのまま眠ってしまっていた、近所の大通りを救急車がサイレンを鳴らしながら通って行く、途中でスピードを落としたのかなかなか遠ざからず大きく長く聞こえていた。
またしても夢の中の出来事と現実がシンクロして夢が途切れてしまった、そもそも普段だと見た夢など内容はほとんど覚えていないのに、いきなり目がさめると覚えていることもある、今日のがそうだ。
二度寝をすると忘れてしまいそうなので、目が冴えている今のうちにこうやって書き残しておくことにする。
「次って何だ」の答えを聞く前に目がさめてしまったのがなんとなく惜しい、それが何なのかを知りたい、だけど、それよりも笑いながらソフトクリームをくれた友人に会いたいのだ、1歳ちょっと年上だった彼に私は年齢で追いついてしまった、夢の中では笑う顔も声も、バイクの鍵に付けてあるキーホルダーの輪に人差し指を挿してクルクル回す癖だってよく知っているあのままなのだ、それなのにどうしてそんなに早く亡くなってしまったのだと時が経つにつれ寂しさが増してくる。
若くして他界した人を「逝くには早過ぎる」と言われることはよくあること、今まではそう言う気持ちは理解できていてもどこか他人事だと捉えていたが、この友人の件については痛切に我が身のこととしてそれを感じるのだ、あまりにも早過ぎる。
今年は初盆ではないか、私は死後の世界など無いと思っている、火葬されれば水蒸気と煙と灰になって終わるだけだと信じている、それなのに彼に限ってはいわゆる「あの世」で楽しく過ごしていて欲しいと願っている。
私は仕事と人に疲れた晩年の彼を見てきた、だからこそ笑って楽しく過ごしていて欲しい。
今は何をしているだろう? 彼と並んで笑って話せるのは目ざめた時に覚えているかどうかわからぬ夢の中だけになってしまったけれど。
そう、いつかまた夢の中に現れて、他愛もない話で笑い、はっと夢からさめて、私はまた寂しい思いをするのだと思う。
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