2013年12月14日土曜日

警察署からの着信

午後10時過ぎ、携帯の画面に不在着信が1件残っていた、発信元は福岡の市外局番092で始まる番号、怪しい業者だろうか・・・と、よく見れば下3桁が「110」なので警察からの着信。

掛け直してみれば確かに警察署、何事かと思い電話番号(言わなくても伝わっているはずですが)と名前を伝える、「ほんの10分ほど前の着信ですが」と言えば受話器を手で押さえながらも「誰か掛けた?」と辺りの人に訊いている声が漏れて伝わってくる。

その結果、誰も掛けていないらしい、ただ、パトカーや交番の発信でもその警察署の番号で掛かってくる仕組みにもなっているらしい、そういった場合は何が原因でどこが掛けて来たのかはわからないと言うのだ、・・・ええっ、分からない? そういうものなのか!?

結局、また連絡があるかもしれないから待機するしかない。

ところが、数時間経っても何の連絡も無し、はて、一体何だろう?

身内に何かあったのではないかとますます気になってしかたがない、実家や甥っ子、姪っ子には既に電話で確認をしたが、行橋や粕屋郡の親類等にも電話確認。

それでも結局分からず、必要であればまた掛かってくるだろうとやはり待つことに。

その後、翌朝になって090発信で友人からの着信、受けてみればお騒がせしましたという詫びの電話だった、警察からの電話の件だ。

何があったのかと訊けば事件や事故等ではなくたいしたことではなく既に解決済みで、自分の携帯電話から数人の番号を拾って警察が電話をしてくれたのだという。

何があったのかははっきりと言わない、言いにくそうにしているし、もう解決したと言うのだからこちらもそれ以上は何も訊かない。

数人に電話をしたということであれば他にも警察から掛かってきた人がいるのか、五十音順で電話帳から拾ったのだと思う、私は最初のほうで登場するはずなので。

日が経って、何かの話の流れで「もう時効だから」などとベタな展開である日喋るのかもしれない。

本当にお騒がせな人、でもまあこれでひと安心。

2013年12月11日水曜日

12日ぶりのテレビ


11月最後の金曜日、風呂あがりに耳の掃除をしながらのんびりテレビを見ているといきなり画面がパッと消えてしまった、・・・思わず綿棒を持った右手が止まる。

試しにコンセントを抜いて数分待ってみたけれど、音だけは普通に聞こえてはいたのだが画面は映らない。

何をどうしても映らない、こういう時は何故本体を叩いてしまうのだろう、叩いても直るわけではないのに。

2013年12月2日月曜日

映画:「去年の夏 突然に」

1959年の古いアメリカ映画、キャサリン・ヘップバーンにエリザベス・テイラーの競演ならば見てみたくもなるではありませんか。


あらすじ:

アメリカ南部の州立病院、そこの外科医はロボトミー手術(脳に外科手術を施し精神的な障害の改善や回復を図るというもの、現在は行われていない)で世に名を知られた男。

ある日その病院へ多額の寄付を地元の未亡人が名乗り出ました、ただし、暗に引き替えとして別地の病院に入院中の姪へのロボトミー手術が条件、外科医は自分が勤める州立病院へ転院したその姪と面接し、外科手術では解決できない暗くて深い心の傷を感じ取るのでした。 


物語の場面のほとんどが病院と未亡人の暮らす邸宅というのがなんとも舞台向き、それ以外は終盤の回想シーンで登場する他所の国の白く眩しい暑い海辺。

邸宅内に設えられている熱帯林風の庭は悪趣味、降りてくると言うよりは「降臨」と言ったほうがぴったりな感じで登場する未亡人が使うエレベーターや室内の装飾もそれにまた近い。

人の話を遮ってばかりの未亡人や、喋りたてるばかりで全く要点を得ない姪の母親などは身近に居そうで登場人物の現実味は充分。

婉曲なセリフを重ねてゆくうちに判明することが次第に増えてくる、回想シーンですら顔を明らかにすることが無かった未亡人の息子は同性愛者であったこと。

しかも未亡人とは近親相姦である可能性を強く感じさせるということ、母親の溺愛が原因か、息子の過剰な強迫観念が原因か、あるいはその両方か。

それぞれが語ることで物語は終盤へ、去年の夏に旅行先で未亡人の息子に何が起きたのかが重要な鍵であることを確信した外科医は邸宅内の庭に関係者を呼び、皆の前で姪に無意識下で隠している過去を明らかにさせるのですが、それは実に衝撃的で凄惨な出来事。

それら諸々を明かす姪の語りと回想シーンがシンクロで流れてゆくのが緊迫感を煽る、それは姪の脳内イメージとして描かれているのですが、唯一最後にイメージと現実との悲鳴が重なるあたりなど良くできていと思う。

ただ、その回想シーンは良かったのですが、その中での出来事は常軌を逸している事態で、そのせいで未亡人の息子は命を落としたということは分かるのだが何がどうなってそこに至ったのかという点、肝心なそのあたりがモヤモヤとしていまひとつ理解できないまま。

もうひとつ解せないのはいつの間にか姪と外科医が恋仲に陥っていたこと、外科医が封印していた記憶を解き放った直後に清々しい笑をたたえる姪と手をとり合って物語は終りなどというのではなく、あれだけ衝撃的な内容を明かしたのだから「点滴を打ちながら1週間入院しました」といった終わり方のほうがまだ納得しやすい。

未亡人役のキャサリン・ヘップバーンは「旅情」、「招かれざる客」、「黄昏」などとはかなり違った役どころで楽しめたものの、正直言えば他の女優さんのほうが良かったかなという気がする。

姪役にぴったりの若いエリザベス・テイラーと消化不良気味のキャサリン・ヘップバーンの競演を見てみたいという人にはお薦め。

このモノクロ映画が作られた1959年に同性愛、近親相姦、ロボトミー、そしてなんとなくカニバリズムすら匂わせる描写は当時としては難しい面が多かったのではなかろうか。

原作がテネシー・ウィリアムズだと言えば、なんとなく物語の風味は推して貰える・・・かも。

2013年10月22日火曜日

胡麻油は胡麻から

今日の仕事は夕方までで、午後の休憩時間をお茶を飲みながら厨房からぼんやりと外を眺めていた、秋風吹く晴れた空の下を週に何度かうちの店へ来てくれる近所の会社の若い営業さんが歩いて来るのが見えた。

遅い昼食のようだ、今日はこちらが午後の休憩時間に入った頃に遅めである、いつものようにスーツ姿の同僚さんとではなく専門学校に通っているという普段着で痩せた弟さんと一緒に。

休憩を切り上げて注文の品を作る、出来上がりを持って行ったのはパートのおばさんではなくこの私、休憩時間を持て余していたので何かすることはないかと探していたところなのでちょうどよかった。

普段は裏の調理場ばかりで表にはほとんど顔を出さない、なのでたまに出て行くと「おや、あの人は誰だろう?」とお客さんから不思議そうな顔をされることがあるのが可笑しい。

さて、若い営業さんとは顔馴染みなので挨拶と少しだけ雑談、「うちの弟です」と隣の若い人を指差す、あまり似ていないその弟さんが「どうも」とこちらに笑う。

続けて「いい匂いですね!」と手元の料理のことを言う、それは鶏肉に酒と粗塩を揉み込んで胡麻油を使って強火で焼いたものでとても香ばしい品なのだ。

そう言うと油にどれだけ胡麻を入れたのですかと訊かれた。

んん? どれだけ?

・・・いや、違う、胡麻油は胡麻を圧搾し(或いは薬品処理で)取り出す植物油なのだと答えれば、てっきり「油」の中に胡麻をドサッと入れて漬けるか混ぜるか振れば「胡麻油」の出来上がりなのだと思っていたらしい。

まあ、確かに油に胡麻を浸せば少しくらいは胡麻油が油に馴染んで滲み出してくるかもしれないが。

随分と昔に某所で「寺と神社は別物なんですか?」と20代の人に訊かれた時は驚愕したことがあるが今回はそれほどではない。

ただ、正直なところ、「ひょっとしてあまり知られていないことなのか」と少しだけ驚きはしたけれど。

胡麻油は胡麻から、オリーブ油はオリーブから、ただし、サラダ油はサラダからではない。

2013年10月11日金曜日

猿の遺産

午前中のこと、パートのおばさんがレジの感熱ロール紙が残り少なくなったので新しいものを準備しようと棚の上段に置いていた箱を取り出した際、その上に乗っていた使いかけのカーボンロールがハラリと下に落ちて来たらしい。

「きゃあ!」と驚きの声をあげるパートさん、床には長くほどけたカーボンロール。

「びっくりした、スルッと落ちてきたのでヘビかと・・・」と他のパートさんと笑う。

そもそも人は何故ヘビを怖がるのだろう、絞め殺されかけたり毒ヘビに咬まれて死にかけたという経験がなくとも音も無く地を這う蛇を見つけると怖がるか嫌がるか、いずれにせよ良くは思わない。

怖くはない、嫌いではないと言う人は少数派だと思う。

大人しいヘビはいくらでもいる、人を噛む犬だって中にはいる、それなのに大方の場合だと犬は好かれ、ほとんどの場合ヘビは嫌われる。

あのパートのおばさんも塀の上に猫が座ったままこちらを見ているのに気付けば「あら」とでも言って微笑むかもしれないが、ヘビがとぐろを巻いてこちらを見ていたとなるとやはり「きゃあ!」に行き着くはず。

とりあえずヘビを怖がる理由は猿から進化する際に受け継いだ本能的なものというのはどうだろう。

猿は無条件でヘビを怖がる、異常な怖がりかたをする、枯葉の上をヘビが這っているのを見つけると木の上で鳴き叫んでパニックに陥る、あの恐れようが進化してもなお人に受け継がれているのでは・・・という考え。

・・・などと私がそんなふうに考え始める以前から同じような考えを持っていた人はそこそこいて、逆に無関係だと言う人も同じくらいいて、実際のところはどうなのかはよく解らない。

まあ、どちらか正しくともヘビは嫌われやすいことに変わりは無いのだけれど。

私は平気でヘビに触る、最初に手で掴んだのは保育園の時で、道具箱を収めようと棚に押し込んでも何故か入らないので奥を覗けば粘土(油粘土)が置かれていて、仕方なくその粘土を引っ張り出してみれば実はヘビだった・・・というのが最初。

ツルツルした生き物という感覚だったので怖さは無く、見た目や手の感触で観察していた時に騒ぎ出したのは先生たち、そう、今思い出してみれば猿の群れを彷彿とさせる騒ぎかた。

ほら、やはり猿から譲り受けた遺産なのかもしれない。