2013年7月29日月曜日

プラネタリウム


隣合う季節へ暦を跨いだだけの短期間ながら、その間の生活をお世話になった福津市の、束の間のお隣さんらに挨拶を済ませた今日は正午あたりで弱い雨も降る実に蒸し暑い日だった。

母は先月他界したのだ。

とうに生活の場を福岡市へと戻していた私に遅れることおよそ1ヶ月半、母の四十九日を済ませてやっと姉と姪が帰ってきた、これから2人は博多の実家で、私は今まで通りその近くの賃貸マンションで以前と同じように毎日を送ることになる。

母を失って姉は精神的に参っている、思い出しては泣いてばかりなのだ、急に泣きだすのである、すっかり痩せてしまった、きっと独りにすると立ち直りは遅れるだろう、姪はそれに気付いているのだ、一緒に暮らして見守ってあげて欲しい。

福津市からの帰りは姪が運転する車で姉は道の駅へ、私は自分の軽自動車で近くのプラネタリウムへそれぞれ寄り道、夏休み中の親子連れで賑わう宗像ユリックス内のプラネタリウムです。

現在のプログラムは「土星の世界」、よく知られた五藤光学製のプラネタリウムとは違うカールツァイス製のコンパクトなシステム「スカイマスターZKP4」への興味も手伝って思った以上になめらかでシャープな投影を充分楽しんできた。

軽く触れられていた土星の衛星「タイタン」、死後の世界が、それを信じている姉の言う通りに存在するのであるなら、私は命を失えばそこへ瞬間移動でもしていろいろと見てみたいものです、二足歩行の奇妙な生き物がメタンの雨の下を歩いているかもしれぬではないか。

帰りは3号線を通らずに古賀市から的野、立花口を抜けて福岡市へ、途中の山や田畑に囲まれた長閑なあたりでは日の傾きと曇天の薄暗さのせいか早めにヒグラシが鳴いていた。

明瞭に聞こえる鳥の鳴き声はイソヒヨドリだろう、休憩で停めたコンビニの駐車場から青黒い体にオレンジの胸元の綺麗な鳥を探してみるも見つからず、だけど声は相変わらずすぐ近くから聞こえていたのだった。

じっとりとした空気、弱い風、走る車の窓から暑さが纏わりついてくる、首回りが汗ばんできたので降参して冷房に頼る。

自宅に戻ってシャワーでさっぱりし、冷たいものを飲みながらブログの更新、今日は特にたいしたことは何もしてないはずなのに、蒸し暑さのせいかなんだか疲れてしまった。

2013年4月2日火曜日

せ○○君だ!

前回見かけたのは・・・たしか4年か5年前にはなろうか、小学〜中学と同じ学校に通ったS君を見かけたのだった。

前回は横断歩道を渡るところを車の中からだったので声は掛けられず、今回は私を嫌う御父上と思しき年配のかたとご一緒されていたのでまたも声を掛けることはできなかった。

御父上は中学当時に野球部だったS君が地区大会のメンバーに選ばれなかったのを私が釣りに誘って部活動をサボらせたせいと思っていて「息子の邪魔をするな、お前は邪魔者だ」と言って怒っていた人なのだ。

・・・いや、それでも声は掛けようかと考えたのだけど、雰囲気的に邪魔をしてはいけない感じが漂っていたのだ。

特徴的な端がクルリと巻いたような眉毛と厚ぼったい二重、そしてモコモコした口元といった特徴は老けてしまっても変わらない、額や目尻にシワが入ろうが、こめかみに白髪が目立とうが一目でS君なのがすぐに分かる。

野球帽を被せたら「こまわり君」そっくりだったのだ、当時流行っていたし、似ているのでS君のことを「こまわり!」と呼ぶ上級生もいた。

そんなこまわり君もこちらを見さえすれば気がつくかもしれないが、ジッと斜め下を見つめていて微動だにしない、表情が暗いのである、楽しそうな感じがチラッとも漂ってこない、そんな場所で御父上と一体どれだけ深刻な会話をしているのだろうと考えてしまうほど。

注文したラテができあがるまで後ろ姿を見ていました、途中で御父上が短く2度ほど何かをS君に言いましたが、S君は相変わらずジッとしたまま。

ああ、御父上も老けてしまわれた、歳なりの「お年寄り」の顔なのだ、私を睨みつけてS君から遠ざけようとしていた気迫のあるお顔ではもう無い。

熱いラテを片手に昭和通りを東へ、那珂川を渡って実家に寄りました、郵便物を受け取るついでに中学時代の卒業アルバムを見てみる、S君は10代なりの顔で若い、僕も当然若い。

ふたりしてバカ話で大笑いし、ドキドキしながら隠れて吸ったタバコで目眩を起こして吐き気の後悔していたあの頃が懐かしい。

今や私もS君もすっかり老けてしまったけれど。

2013年2月2日土曜日

終の住処

「あの頃は雑魚がザルで20円だった、漁師の小遣い稼ぎになっていて、決まって夕方になるとリヤカーで売りに来ていた、買うほうも安くて新鮮な魚が買えるので助かっていた、食べきれない時もあったから近所の人と分けていたこともある。」

・・・これは母が口にする昭和40年代の昔話、実家周辺には都市高速や今のような大きくて高い建物など無かった頃の話。

軽い認知症の母がその当時の話をよく繰り返すようになった、その雑魚の話や、近所の奥さんたちと縁側で涼んだ夏など、楽しかった頃を愛でるように何度も話す。

そうかと思えば認知症の隙間から漏れてきた現実を浴びたかのように、ふと不安に襲われて真顔で天井を見つめる時もある、我が身を蝕む癌を思い悩んでいるのです。

母の癌は末期で、手術や放射線といった術を機会として既に失っている、奇跡的に効いていたホルモン療法も2年と少しを数える頃から効果が弱くなってしまった。

結果的に癌は確実に憎悪している。

今年に入り、医師から具体的な余命について告げられ、家族全員で何度も話し合った結果、母本人の希望通りに退院し、可能な限り通院しながら残された日々を過ごすという選択をした。

そしてまたもや母は懐かしそうに海風が吹く縁側を思い出しては在りし日の思い出を口にする、家事や育児、町内の雑用にさえ溌剌としていた母の記憶は幼かった僕の目を通しても記憶に残っていますから。

贅沢などできぬ倹しい暮らしであっただろうに、それでも穏やかな日々が女として、また母親としての幸せに満ち足りていた時期だったからこそ窓から見える晴れた空に気付いたり、吹き込む風に髪が震えたりする度に思い出しては目を細めて同じ事を口にするのだ。

残りの時間をその頃には戻せないけれど、高い建物に囲まれて薄暗くなってしまった実家から離れて海風の吹く明るい縁側のある場所へ住まいを移すことは可能だった。

実家はそのまま残して別に家を借りることにしたのである、最初は遠慮していた母も喜んでくれた。

場所は福津市、海にほど近い古い平屋の借家で、なお且つ車で2分ほどの場所に新しくお世話になる病院があるという環境、そこに母と姉と僕が住み、兄と姪や甥が可能な限り訪れてくれるようにという計画。

ただ、これは希望に胸を膨らませて始める新生活というものではない、母の終の住処なのである、それを思うと気が沈むが、何より己の短い余命を理解している母の事を思うのが辛い。

まずは必要最低限のものだけを移し終えました、来週からしばらくは福岡市の実家と仕事場、そして福津市の住まいと行き来することになる。

2012年12月2日日曜日

ホームクリーニング

プロによる自宅内の徹底清掃のことではなく、普段ならクリーニング店へ持ち込みそうな衣類を自宅で洗うという庶民派なそちらのほう。

洗ったものはダウンジャケット、着用シーズンに入ったばかりでもう洗ってしまうのは、霜が降りた数日前の早朝に仕事場の表の掃除の際に水で薄めた液体クレンザーをうっかりかけてしまったからだ。

2012年10月17日水曜日

錯視

面白いサイトを発見、そこの説明通りの見え方で画像が揺れる、静止画の筈なのに回転したり、うねって見えたりで面白い。

リンク先の「北岡明佳の錯視のページ」で紹介されている錯視はどれも大変良くできていて、そのページの下のほうには「本ホームページ内のページ一覧」として他の錯視が数多く紹介されています、興味があればスマホからではなく画面の大きなPCでどうぞ。

まずはいきなりトップページから驚かされる、なぜジワジワと回転しているように見えるのだろう、いろいろ調べてみてもピンとこない、人なら誰でも同じように見えるのだろうか?

他には、たとえば「視覚的補完の錯視」→「消失現象いろいろ」→「あさがお」は見て数秒後には他の黄色のドットがほとんど感知できなくなってしまった、別のポイントを見た時だけ周囲に一瞬見えるというのに。

ああ、やっぱり点は1つしか目で追えない、どうなっているのだ??

人の脳のせいなのか、目の構造?のせいなのか、こんなシンプルな図柄に不思議な錯覚を起こそうなどとは・・・。

今はもう無くなっているが、長崎のハウステンボスには「ミステリアスエッシャー」というアトラクションがあった、仕組みも解説されていて頭では理解しているのに何度通っても平衡感覚がおかしくなってよろめいてしまう通路があったのを思い出す。

人間ならではの錯覚なのだろうか、猫や犬ではどうだろう。

そんな人間の錯覚を気付き、画家の領域の作品へと転化してしまうマウリッツ・エッシャーをはじめとするいろんな方々の着眼点や観察力には本当に感服する、凡人では気が付かないし、仮に気が付いても詳しくは探求しないであろう。

そういう私も惑わされてばかりの凡人なのだ。

リンク先についての話に戻すと、ページの冒頭付近には「車酔いなどを起こしやすい方はご注意下さい」という注意書き、リンク先を御覧になる場合は一応ご注意を。

なお、そこでの各画像(データ)はフリー素材ではない、この点もご注意を。