2011年7月11日月曜日

敢えて凍らせる方法

日も暮れた宵の内にいつも立ち寄るスーパーへ行った、普段なら仕事帰りの夕方だけど、今日は一旦帰宅し、夕食も済ませた頃の散歩ついでの買い物だった。

入ってすぐの場所、日配品の棚に3割引のシールが貼ってある木綿豆腐を幾つか見つけたので買い占め、私は高価なものを買って幸せになるタイプではない、良さそうなものが安く買えて小躍りするタイプなのだ、こういった特売品を見つけるのは楽しい。

浮いたお金は口座にジリジリと貯まる、塵も積もればでそれもまた楽しいではないか、そんなせいかケチ(!)だと言われることも多い。

まあ、それはともかく(笑)、野菜4種類と日替わり特売品のヨーグルトと豆腐4丁を提げて帰宅。

豆腐を1丁だけボウルの水の中に移して冷蔵庫へ、残り3丁は半分に切ってラップで包んで冷凍庫へ。

冷蔵庫ではない、冷凍庫、完全に凍らせてしまうのだ。

豆腐は冷凍してはいけないと言う人も多いけれど、凍らせた豆腐は解凍後にぎゅっと水気を絞って包丁で切るなり手で千切って放り込むなりで煮物等に使うと味がよく滲みて美味しい、独特な歯応えも生まれる。

ただし、冷奴のような食べ方はもうできない、スポンジ状になっていて薄味の煮物(味が濃いと煮汁をたっぷり吸うので塩辛い)や汁物にしか使えない、揚げたり炒めたりも全く向かない、そういうものには買ってきたままの豆腐をどうぞ。

面白い使い方として水気をしっかりと固く絞ってバラバラにしてしまうのである、包丁で細かく刻んでしまえばそれで充分、簡単に細かくできる。

それをハンバーグを作る時のパン粉の代わりに使うのだ、少し食感が変わるし、植物性蛋白質も摂れて、パン粉よりは炭水化物を減らせる。

どこかにまだ固い木綿豆腐の面影を残した凍り豆腐(高野豆腐)のような感じが良いのである。

特売品等で安い木綿豆腐を多めに見つけたら多めに買ってお試しあれ、好きな時に使えて実に便利。

解凍は前夜から冷蔵庫か、レンジで2~3分の加熱で。

2011年7月10日日曜日

エスカレーターは正しく使いましょう

夕方前の天神の某商業ビル、地階から上の階へ行こうとエレベーターへ、だが順番待ちが多くて時間かかりそうだったのでエスカレーターで上へ。

目指す5階で降りてみれば男の子が右手で左手首を握ったままエスカレーターの脇で泣いていた、父親と思しき男がフロアの責任者風の男に「だったら『ベルトを掴んで遊ばないでください』くらいはっきり書いておけ!」と 激しい口調で言い立てて騒いでいる。

次から次に下から客が上ってくる、皆「なにごとなのだ」といった面持ちで通りすぎてゆく。

どうやらその子供はエスカレーターのベルトを掴んで(自分の側に引っ張って)動きを止めようとして手首を傷めたらしい。

バカなことを言うものだと思う、エスカレーターのベルトは掴んで遊ぶものではないことくらい常識ではないのか、なにより、大人が子供をしっかり監督し不測の事態に至らぬようそんな行為を注意して止めさせるのが当たり前。

そう、当たり前、親の責任なのだ。

「ベルトを掴んで遊ばないでください」などという注意書きが当たり前の世の中だったら他の事についてもあらゆる注意書きを用意しなくてはならなくなるではないか、

「目を閉じたまま歩かないでください」
「歩行中の突然の逆立ちはご遠慮ください」
「公園に家を建てるのはお止めください」

・・・普通こんなことまで注意しないであろう、しないのは「そんな行為に及ばないのが常識」だからである。

己の、保護者としての責任はなおざりのまま、それも分からずに他人に責任をとやかく問うなどは常識が欠落している証しなのだ。

なにより、どこか傷めたのならそこで文句を並べるのに時間を費やすのではなく、さっさと子供を病院に連れて行って診てもらうのが先だ、あの大人は子供の体よりも自分の感情を優先している。

不思議と近頃こういう人がやたらと目につくのだ、見かける偶然の機会が増えたのか、はたまたこういう人そのものが増えたのか、これからも度々目にすると思う、嫌な光景である。

2011年7月1日金曜日

元物置部屋で寝る男


実家の物置部屋になっていた日当たりの悪い部屋を整理した、姉の古い雑誌や壊れて使いようのない扇風機やコイルの切れて音が鳴らないスピーカーなど「こんなものまで」と思う物の多くがごみと化した。

懐かしいものもあったりで整理作業は楽しかったけれど。

この部屋を整理する目的は私が寝るため、決して今の賃貸マンションを追い出されたわけではない、母親も高齢だし、姉が女2人だと心細いと思うことが最近あるらしいので実家に居る時間を長めにするためである。

最低でも週に2日は様子を見に行き、そのどちらかは深夜までか、いっそのこと朝まで居ようと思っている。

私が行かない日は時々でも姪が様子を見に来てくれるらしい。

その六畳間に置いてあった物のうち不要な物は明後日の回収となるよう手配も終えた、軽トラック1台で済んでしまう量である、処分費用は全て合わせて約2万円なり、高いのか安いのかはわからない。

なんとか部屋を空けて掃除も済んでネット通販で買っていた窓用のエアコンを取り付けました、本当はセパレートにしようかと思っていたのだが、室外機の設置場所の関係で断念。

室外機の後ろと前にそれぞれ最低限必要なスペースというものがあるらしい、あまり狭い場所に設置すると後々のメンテナンスも大変だという、なるほど、それはよく理解できる、室外機設置のために子供の頃から葉を繁らせている南天を切り捨てるつもりは無い。

窓用エアコンの運転音はそこそこ大きいだろうなと覚悟をしていたが予想通りに大きい、ついでに本体も大きい、取り付けは30分ほどで至極簡単、日本製で使わぬ時は窓をぴたりと閉められるのは良い、スイッチオンですぐに冷えるので音さえ気にしなければ問題なし。

そう、音は大きくともそれが不快なほど気にならないので問題ないのである、それよりも猛暑の季節の熱帯夜をうなされることなくぐっすり眠れるほうが重要、これならこんな物置部屋でも快適に過ごせそう。

いや、違う、「元」物置部屋だった。

先ほど少し書いたが、この窓用エアコンは冷風が出てくるまでの時間が素晴らしく早い、僅か数秒である、セパレート型のエアコンだと室外機のコンプレッサーが動き出して、冷却ガスが循環を始めて、準備が整ったところでいよいよ送風開始・・・となるのだけれど。

しかも六畳間だと寒いほど冷える、木造家屋の想定冷房空間として四畳半が記されていたが、購入時に参考にした口コミサイトの評価通りで充分過ぎるほど冷えるので冷房能力の点で問題は無い。

ところで最近、姉は家庭ごみの持ち出し日にごみ袋を提げて表に出てみると、暗い場所からよそのお宅を覗き込んでいる誰かを見かけたらしい、こちらに気付くと足早に去って行ったというから姉の言う女2人で居ることの心細さの原因になっているのかもしれない。

玄関にLEDの常夜灯を灯し、暗かった部屋にも明かりが灯って住人が1人増えれば、たとえそれが私が4人兄弟の末っ子であっても多少なりとも心強いのではなかろうか。

2011年6月22日水曜日

夏至と極夜とニイニイゼミ

蒸し暑さがとても不快で暦の歩みをうっかり忘れるところだった。

今日は太陽が北回帰線にまで届き、そして明日からは赤道やそのまた向こうの南回帰線目指して帰り始める折り返し地点。

そんな曇り空の下、肘から先に白いカバーと日傘を差したご婦人を午後の散歩の途中に舞鶴公園で見掛けて今日が夏至であることをはたと思い出した。

ベンチに腰掛ける人たちもなるべく日が当たらぬ場所を選んでいる、風通しの良い場所は人気で、そこに腰掛けている2人のうちの女性の髪や着衣の裾がはためいていた。

男性のほうは短い髪にTシャツ姿なので強風でもはためきそうにない、どちらも木陰の下で涼しげだった。

曇っていなければもっと濃く日焼けをし、そして更に気温が上がって疲れていただろうと思う。

その一方、遥か遠い南極圏では極夜のピーク、一日中太陽が昇らないという日なのだ、晴れていても該当地帯ではさぞ暗い昼間であろう、それは今月に入ってから始まっていて来月の中頃で終わるはず、なので逆に北極圏では白夜のピーク、さぞ明るい夜が続いているはず。

そういえば、この投稿の9日後の7月1日は部分日食の日ではないか、残念なことに今回は日本からは観測できない、南極付近のみなのだ、日本からだと2012年05月21日の金環日食だ、これは楽しみである。

季節そのものは行きつ戻りつで進むのだけれど、星や太陽はきっちりといつも通りの几帳面さ。

太陽と違って私の散歩の折り返し地点は北回帰線ではなくすぐそこの大濠公園のスタバのすぐ傍、デメテル像なのだ。

戻って来る途中の鴻臚館跡付近では抑揚のないニイニイゼミの鳴き声が聞こえていた、今年最初だと思う。

いや、もしかするとここ数日のうちに聞こえていたけど意識しなかったので覚えていないだけなのかもしれない、今日は夏至を意識した後なので気付いただけなのかも。

いずれにせよ暑い、すっかり夏の陽気である、これから9月半ばくらいまでは「暑いですね」が挨拶代わりで登場する。

散歩のあと、汗が流れたせいで冷たい飲み物がひときわ美味しかった。

2011年6月20日月曜日

映画:「怪談」


自分の生まれた年に公開された映画を探していて見つけた邦画(1964年ではなく翌年だという説もある)、原作は小泉八雲の「怪談」と「影」、「骨董」からの4話を集めたオムニバス。

1話目の「黒髪」が「影」から、2話目の「雪女」と3話目の「耳無し芳一の話」が「怪談」から、4話目の「茶碗の中」が「骨董」から。


あらすじ : 

「黒髪」:貧しさに疲れた武士が献身的で優しい妻をある日捨て、富と地位を欲し甘やかされて育った我が侭な女を娶ってしまう、が、その冷淡さに昔の妻の有り難さと無下にも捨ててしまった後悔とで再び戻り荒れ果てた懐かしの建家で再会を果たし、心から詫び、夜を共にするのでした。 

「雪女」:山へ薪を取りに行った男が帰り道で猛吹雪に遭い山小屋へ避難するのですが、そこで連れだっていたもうひとりが凍死してしまう、ただし単に凍えて死んだのではない、白い着物の女が凍てつく吐息を吹きかけるのを見てしまったのです、女はこのことは誰にも口外するなと男にきつく口止めしました。 

「耳無し芳一の話」:阿弥陀寺に住む芳一という名の盲目の琵琶の名人、他の誰もいない夜に高貴なかたの前で琵琶を披露してくれと迎えに来た男に連れられて行くのでした、翌晩も、雨の晩ですら・・・、次第にやつれる芳一と、その行く先を怪しんで跡をつけてみればそこは墓場、幽霊に魅入られている芳一を救おうと体中に経文を書き、繋がりを絶とうとします。 

「茶碗の中」:本筋は執筆中の物語を途中まで書いて完結させなかった作家の話ですが、副筋ではその途中で終わった物語そのものが展開されるという一風変わった話、それは茶碗に張った水を飲もうとするとそこに見知らぬ男が映っているというもの、ほどなく実体として目の前に現れ、刀で斬りつけるのですが壁の中に消えてしまい何者かは不明のまま、後の夜にその謎の男の家臣を名乗る3人の男がやって来て、主君が斬りつけられて負った傷の恨みは必ずはらすと告げるのでした。


俳優陣の豪華さ、空気感まで伝わってきそうなセットの設えの良さ、人の身のこなしや流麗な言葉、様式美、そして派手な今時の色合いとは全く違う日本の伝統色の鶯茶、桧皮、薄白葱、黒紫・・・、どれもが美しい。

なにより武満徹による音楽と音響効果は凄いです、琵琶の音色には鬼気迫るものがあります、映像を省いても音に捉われてしまいそう。

昨今の血飛沫とびっくり箱のセット品のような痛いか汚いばかりの「怖い映画」とは一線を画す作品で、怖さよりも人の世の儚さや業や情を描く小泉八雲の繊細な物語であり、日本で生まれ育った作家によって誕生して欲しかったとさえ思ったもので悔しさを感じるほど素晴らしい。

個人的に最も良かったのは4話目の「茶碗の中」、見た人はこれをどう解釈するのだろう、その点も興味深い。

それにしても皆若い、三國連太郎も、仲代達矢も、中村嘉葎雄も・・・。

47年前ですから、当たり前なのだけれど。

この映画、強くお薦めします、アナログ世代にはどこかに懐かしさを、デジタル世代には未知で不可思議な世界の有り様を味わって欲しいと思う。