2010年10月19日火曜日

気づかれなかった雨

窓から夜空を見てみればのっぺりとした均一な空、てっきりそれを晴れた空なのだと勘違いしていて、屋外に出てよく見れば曇っているのでがっかりした、それも雨気漂う低い空なのだ。

今朝方、なるべく天頂に近い高い空にカペラ(ぎょしゃ座)が位置するのを待っていた、目的はカペラそのものではなくハートレイ彗星、明るいその恒星が暗くて目立たぬ彗星探しの目印となるって探しやすい。

ちなみに地球最接近は明日の夜。

ところが彗星を探すどころではない、左のこめかみと手の甲にポツリと冷たい点のような雨粒が落ちてきた、そっとデジカメをポケットに収める、これは防水仕様ではないので。

雨はほんの数分間で、雨粒はごく小さくてまばら、もちろん雨量計の中のシーソーをほんの1回でも倒せないほどの雨、なので0.5mmの降雨量にも記録されないレベル、通りに水溜りを作るほどアスファルトを濡らすこともない。

同じ通りを早い外出なのか遅い帰宅なのか男性がやや早足で歩いている、ハンカチで肩のあたりを軽く払いながら通り過ぎて行く。

私は部屋に戻り、軽く朝食を食べ、他の準備を済ませてから念のため傘を持って仕事場へ向かった。

やって来たパートさんたちに折り畳みぐらいは持って来ているだろうと思いつつ「また降り出すかもしれないよ、傘は?」と訊けば「あら、今日雨降るんですか?」と言う、早朝の雨はまだ寝ている間のことだから誰も知らなかったようで。

確かに、まだそんな暗いうちに屋外を見ていたり歩いていたりする人は少ない、今朝の雨はきっとほとんどの人には気づかれなかった雨だろう、眠っている間に遥か遠い雷が己の積乱雲を明るく輝かせてみても、その幕電からは雷鳴が届かないのでスヤスヤと眠ったまま誰も気付かないのと同じことなのだ。

気付いたのは晴れているのだと勘違いした私と、ハンカチで肩を払いながら通り過ぎて行った男性、取り敢えずはこの2人。

加えて、もうどこかで朝刊を配達していたであろう配達員さんたちといったところであろう。

2010年7月27日火曜日

眠っている間に

タイマー設定で眠っている間にエアコンが止まって寝苦しくなり寝相が悪くなるせいか、夏は目が覚めると敷き布団から外れていることが多い、時に片方の脚を敷き布団の下へ、もう片方を上へ乗せて脚の間に挟んでいることもある、今朝は敷き布団から外れているというパターン。

かなり遠くまで転がっていたこともある、眠っている間にどんな行動をとっているものか・・・。

夢は目が覚めてしまうと忘れてしまうけれど、寝相だって似た様なもの、腹が冷えぬ程度の肌布団を丸めてどこかへ押しやり、敷き布団から逃れてしまうまでの自分を録画でもして見てみたいものである。

友人には目が覚めるとパンツを完全に脱いでいたという人だっている、器用に敷き布団の上で頭と足先の位置が逆になっている人もいる、私は幸いなことにまだそのどちらの経験は無い。

枕だけが足元に移動するならば東北地方でよく知られている妖怪のせいかもしれぬが。

朝まで冷房運転続けていれば行儀よく布団の上で目を覚ますだろうか、暑さの寝苦しさで部屋を転がるのではなく、物の怪に足の裏でも突かれて転がっていたりするのであれば少し怖いが珍しい体験である。

まあ、布団からはみ出て目が覚めたからと言って何が困るというわけではない、頭をどこかにぶつけて怪我をするというのでなければ。

ところで、夏は面倒なので布団など敷かずにひんやりとした畳やフローリングの上にゴロリと寝てしまう人もいるらしいが、目がさめた時に体のあちこちが痛くて疲れもとれにくいらしいので、暑くて面倒でも敷き布団はちゃんと敷いて寝たほうが良いようです。>皆様

2010年7月23日金曜日

映画:「ダイアナの選択」

ダイアナの選択」という映画、WOWOWからの予約録画で劇場公開の際にはどんな評価だったのかという以前に、この作品の存在自体知らぬものだった。


あらすじ:

アメリカの田舎町の高校、主人公はそこへ通う17歳の女子高生、町に馴染めず親子関係もしっくりしない蓮っ葉な娘、しかし孤独ではなく保守的で真面目な同級生の親友がいる。

ある日のこと、トイレで授業前のひと時を他愛もないお喋りで過ごすその2人は何事なのだと表の騒々しさに気付く、なんと同校の男子生徒が銃を乱射し誰彼見境い無く銃撃しているのだった。

男子生徒は女子トイレにもやって来て怯える2人に訊く「どちらかを殺す、死ぬのはどちらだ?」・・・と。

時を経て主人公も三十路、優しい夫の妻であり可愛い一女の母親でもあり、平穏な日々に人生の幸福を疑うことなく毎日を送っていた。


だが、その朝は忌まわしき事件から数えて15年目、娘を学校に送る途中で粛々と準備が進む我が母校での追悼式典の様子を横目で見つつ、そして若かりし事件当時に思いを馳せるのだった。


この映画は家庭を持ったその後の主人公と、まだ女子高生だった当時の主人公を切り替えながらという作風、派手なフラッシュバックではなく、ごく自然に、まさにシーンが切り替わるが如く。

見ていて違和感は無く、あちこちに散りばめられている物語の本質や筋に触れる伏線を上手に見せてくれる・・・が、最初のうちはどれにも気付かないかもしれない。

不可思議な展開を怪しみながら見ていた森の中で我が娘を探すシーン、結末が見えて愕然としてしまった、そんな結末にはならないで欲しいと思いつつもまさにその通りであったことが寂しくも悲しい、何か幸せや救いを見出すとすれば何があるのだろう。

それはこの映画を見た人それぞれによって解釈は違うはず。

映画のタイトル「ダイアナの選択」は邦題として上手に付けたと思う、英語の原題を直訳でもすればネタバレに等しい。

オープニングの静かで濃密な色彩の花々や、美術教師となってゴーギャンについて説くシーン、そしてまたもや静かなエンディングクレジットが何故だか印象的な映画、銃の乱射事件は発端に過ぎず、物語の核ではないはず。

万人受けする映画ではないと思う、中盤を中弛みと感じる人も多そう、多くの伏線など面倒だと思う人には退屈な映画になるやもしれず、個人的には良い映画だった。

ちなみに、主人公(女子高生)の親友役を演じるのはエヴァ・アムリ、その母親はスーザン・サランドン、目元がそっくりなのも頷ける。

2010年6月10日木曜日

幽霊誕生

今日は正午過ぎから自転車で20分弱の場所にあるドンキホーテへ、WEBチラシで見付けた電動かき氷機が欲しかったがため。

だが、実物を確認すれば耐久性が不安な感じだったので買わず、新しい歯ブラシと黒胡椒の詰め替えのみを購入、帰り道は来た時と同じように大きな通りではなく古い民家も多い網の目のような路地を通ることに。

スーッと空が暗くなってポツンと雨が落ちたか・・・と思ったらいきなり強く降り始め、箱崎なのか馬出(まいだし)なのかはっきりしない地点で雨宿りで近くの軒下へ逃げ込んだ、
風が強くなって膝あたりに雨が当たり始めたのでもう一段奥へ入れば・・・、そこは誰も住んでいないのが雰囲気だけでも分かる2階建てアパートの1階通路、郵便受けは荒れ放題、どの部屋の電気メーターも機能していないようである。

「家屋は住人を失うと途端に色褪せて古ぼける」と何かの話の中で中学の担任が言ったのを思い出してしまった。

雨宿りしているそのアパートの隣もきっと同じ形の建物であろう住人なきアパート、この2棟は1号棟と2号棟だったのだろうか、どの窓にもカーテンは無い。

1階の奥の部屋、部屋の場所と雨空のせいで暗いながらも窓ガラスが手のひら大で割れているのが見える、風向きによって部屋の内側から何か白い布のようなものが割れた部分に蓋をしたり、また離れたりを繰り返していました。

見ていると何度目かでパッと離れたまま戻って来なくなった、ポッカリと暗い穴が開いている、いつまで見ていても白いものが蓋をすることはなく、それでもジッと見ていると奥にフワリと何か見えてきそうでなんとも言えず気味が悪く、そして怖い。

頭の中で幽霊が誕生した瞬間だ、そこにそんなものは存在しないのに、怖さや気味の悪さを覚えた時に頭の中でぬうっと産まれ、そのまま頭の中をゆらりと徘徊するのである。

その幽霊の寿命は怖かった光景を忘れるまでの間、思い出す度に歩き回ってまた怖がらせるのだろう。

早く降りやんでくれぬかという思いとは逆に、雨はなかなか弱くならない、寧ろ強くなっているのではなかっただろうか、直接地面を叩く雨音と、廃屋となったアパートの雨どいに集まった雨水の音を耳で確かめつつ、ちらちらとその奥の部屋を振り返っては見ていた夕刻のことだった。

2010年5月26日水曜日

おもちゃのような端末


今日の仕事は午後1時まで、帰りは寄り道で自転車がよろけそうなほど強い風が吹く中、大名を通り抜けて天神へ。

ヘッドフォンのイヤーパッドの替えを買いに行けば「使用済み携帯電話の回収にご協力を」というポスターをビックカメラで見かけた、ちょうど店員が剥がしているところで、その後には同じ趣旨の新しいデザインのものを貼っていた。

そう呼び掛けが始まって久しいらしい、実は古い携帯電話をたったの1度でも回収品として引き取ってもらったことがない、手元に残しているのだ、端末コレクターでもないのに。

そう頻繁に機種変更をするほうではなかったので、手元にあるのは最初にPHSを契約した時の東芝製のDL-26Pという今となってはオモチャのようなもの。

その後の端末は1台だけオークションに出品し、落札され、嫁いで行った。

念のため「使用するにはWILLCOMとの契約が必要ですよ」と落札者に伝えたところ「トランシーバーで現場での使用ですので大丈夫」という返答があったので、どこぞの工場や事務所等でトランシーバーモードを活かして従業員間の連絡用として活躍してくれているはず。

更にオモチャのような端末を使っていたこともある、東芝から発売された「テガッキー」というポケベルを一回り大きくしたような端末、なんと通話機能がないのである、1000(2000?)文字までのメールとモノクロで荒いドットの手描きイラストを送るだけの端末。

メールサービスに特化したようなもので、奇抜な端末だったがバッテリーの持ちが良く、入力しやすくて面白い端末だった、使わなくなったのはテガッキーそのものがサービス外の端末となって専用料金コースも無くなったから。

さて、確か姉の下にも古い端末が1台あったような・・・、今でもあるだろうか、私のと一緒に2台を回収品として出してみようか。

貴金属やレアメタルを天然資源として新規に採るよりも、遥かに高密度で効率の良い採りかたができるという、押入れで眠っているだけのそんな古い端末の中に貴重なものが詰まっているなどと、理屈では理解できてもピンとは来ませんけれど。