PCでエロ動画を見た、よく覗く海外のエロサイトで素人さんの投稿動画が毎日山ほど入ってくる、フィルタで素敵な同年代の太めさんを選り出しては楽しませてもらっている。
見ていて多いな思うのがコックリングで締めている人だ、外人さんはそれが好きなのだろう。
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2017年9月30日土曜日
2017年9月29日金曜日
2017年9月28日木曜日
尽くせば愛してもらえるという錯誤
以前から時々見ていた某ブログ、数日前の更新で片思いの相手を諦めましたという話が書いてあった、この数ヶ月というもの休日を相手に合わせるためにずらして映画に誘ったり、ランチや飲みに誘ったり、日帰り出張のお土産を何度も買ってきたりで頑張っているのに相手は自分のほうを向いてはくれないという嘆きだった。
ブログ主にとって相手は理想そのものの同年代で、相手からすればブログ主は少し年齢は高めになるが守備範囲に違いないと断言している、なのでいろいろと頑張ったということなのだろう、その上で相手を「酷い男」や「人の気持ちがわからない男」と断じ、食事に使った金額を明かして「利用された」とも書いてあった。
ブログ主にとって相手は理想そのものの同年代で、相手からすればブログ主は少し年齢は高めになるが守備範囲に違いないと断言している、なのでいろいろと頑張ったということなのだろう、その上で相手を「酷い男」や「人の気持ちがわからない男」と断じ、食事に使った金額を明かして「利用された」とも書いてあった。
2017年9月27日水曜日
「は」のほうが簡単だぞ
仕事が終わってスマホを覗くと某ゲイ同士の出会い系アプリに新着メッセージが届いていた、開いてみると市内からだという私と同じ五十路の人からだった、内容はいわゆる通りがかりの人からの挨拶メッセージだったのだが、その中に最近よく見掛ける不思議な1文字を見付けた。
「ゎ」である、「自分ゎ市内に住む・・・」という具合だった、助詞の「は」の意味合いで使っている文字だ、もちろん誤変換では出てこない文字だろうから敢えてそうしているということになる。
これは使い分けで難しい助詞の「は」と「が」の関係うんぬん以前のものだ。
「ゎ」である、「自分ゎ市内に住む・・・」という具合だった、助詞の「は」の意味合いで使っている文字だ、もちろん誤変換では出てこない文字だろうから敢えてそうしているということになる。
これは使い分けで難しい助詞の「は」と「が」の関係うんぬん以前のものだ。
2017年9月26日火曜日
映画:「チョコレート・ドーナツ」
アメリカでは2012年に公開されたというこの映画の日本での公開は2014年、だが、私はこの映画については作品の内容を全く知らなかった、観た人の評価も知らなかった、全く予備知識なしでの鑑賞である。
あらすじ:
映画は人形を抱いて夜の街を歩く男の後ろ姿から始まる、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったようでその足取りは重い、その男は暗い川にかかる橋の欄干で途方に暮れるのだった。
ある夜のゲイバーではプロのシンガーを夢見る男がステージで歌っていた、名をルディという、そこで客としてやって来たポールと惹かれ合い、出会ったその日に車の中でデキてしまった、ルディはポールが検察官であることを知り、別れ際には名刺を貰った。
アパートに戻ってみると近くの部屋からの音楽がうるさいのでルディは苦情を入れたが逆に罵られてしまう、翌朝家賃を取りにきた大家に叩き起こされたルディは斜向かいの部屋がうるさいのでなんとかしてくれと言うが取り合ってもらえないので自ら部屋に入って音楽を止めた、その時出会ったのが育児放棄されたマルコというダウン症の少年だった、ルディはマルコを放っておけず昨晩出会った名刺を頼りにポールにどうするべきかと案を求めるがつれない態度に失望しアパートへ戻ってしまう、そこでマルコの母親が薬物所持の罪で逮捕されたことを知り、マルコは行政によって保護され施設へ送られることになってしまった。
ところが、保護とは名ばかりの、さも家畜でも追い立てるようにマルコを引き取る様子にルディは不愉快になるとともに不憫さを一層募らせるのだった。
夜に再びゲイバーでルディが歌っているとポールが先般の冷たい態度を詫びに来ていた、ルディはポールを許しお互いの身の上話をし、ポールの車でアパートへ送ってもらう途中で偶然にもマルコが夜の街を歩いているのを目にし驚くのだった、施設から逃げ出したマルコを送り返すには忍びなく、ただ平穏に暮らしたいというささやかなマルコの願いと、それを実現するのが正義だと信じる2人は監護権を得ようと奮闘するのだった。
ただ平穏に暮らし、その日々の中で幸せに生きていたいという願いを持つのは誰しも同じこと、ただ、現実はそう簡単ではなくうまくはいかない、ゲイと障害者というマイノリティに属する人たちではなおのこと難しい、そういう現実に翻弄される人たちを描いたものだった。
ダウン症であるマルコには健康上の問題が少なくないことを納得し、食事に気を配り、単語の綴を教え、おやすみとベッドに寝かしつけ、おはようと朝を迎える、そんな2人の監護権を得たいという心情と努力には理解を示しつつも、杓子定規な法の解釈のもとではそう簡単な話ではないことが実にもどかしい。
また、法廷での判事には多少なりとも私見が混じっているようではあったという感じはする。
2人の監護権取得をなんとしても阻止しようとする敵対弁護士が執拗に2人が公序良俗に反する品行のゲイでありマルコにとって悪影響を与えるので監護権は不適当だと突いてくるのが腹立たしい。
そんな暫定的な監護権下で2人と暮らすマルコが生まれて初めて持ったであろう自分の部屋に入った時に「ぼくのうち?」と背後の2人に訊き、「そうよ、ここがおうちよ」とルディが答えると嬉しさから泣き出すマルコの姿に胸が締め付けられる思いがした。
この映画の結末はどうなるのだろうと考え、何通りもの展開を思い描いてみたのだが、結局は私の予想とは別の終わり方をした、そして、その終盤に登場するシーンのひとつはこの映画の中で既に観た光景であることに気付いたのだった。
どういった光景で、どういう結末なのかはこれから観る人が確かめて欲しい。
映画の締めはポールが監護権獲得の件に関わった人たちへ手紙を送り、ルディはステージで歌っていた、文面がどうだったのか、歌はどうだったのか、これもまた観る人が確かめて欲しい。
ルディ役のアラン・カミングが実に素晴らしかった。
原題は「Any Day Now」、そう、そのうち、いつの日か。
あらすじ:
映画は人形を抱いて夜の街を歩く男の後ろ姿から始まる、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったようでその足取りは重い、その男は暗い川にかかる橋の欄干で途方に暮れるのだった。
ある夜のゲイバーではプロのシンガーを夢見る男がステージで歌っていた、名をルディという、そこで客としてやって来たポールと惹かれ合い、出会ったその日に車の中でデキてしまった、ルディはポールが検察官であることを知り、別れ際には名刺を貰った。
アパートに戻ってみると近くの部屋からの音楽がうるさいのでルディは苦情を入れたが逆に罵られてしまう、翌朝家賃を取りにきた大家に叩き起こされたルディは斜向かいの部屋がうるさいのでなんとかしてくれと言うが取り合ってもらえないので自ら部屋に入って音楽を止めた、その時出会ったのが育児放棄されたマルコというダウン症の少年だった、ルディはマルコを放っておけず昨晩出会った名刺を頼りにポールにどうするべきかと案を求めるがつれない態度に失望しアパートへ戻ってしまう、そこでマルコの母親が薬物所持の罪で逮捕されたことを知り、マルコは行政によって保護され施設へ送られることになってしまった。
ところが、保護とは名ばかりの、さも家畜でも追い立てるようにマルコを引き取る様子にルディは不愉快になるとともに不憫さを一層募らせるのだった。
夜に再びゲイバーでルディが歌っているとポールが先般の冷たい態度を詫びに来ていた、ルディはポールを許しお互いの身の上話をし、ポールの車でアパートへ送ってもらう途中で偶然にもマルコが夜の街を歩いているのを目にし驚くのだった、施設から逃げ出したマルコを送り返すには忍びなく、ただ平穏に暮らしたいというささやかなマルコの願いと、それを実現するのが正義だと信じる2人は監護権を得ようと奮闘するのだった。
ただ平穏に暮らし、その日々の中で幸せに生きていたいという願いを持つのは誰しも同じこと、ただ、現実はそう簡単ではなくうまくはいかない、ゲイと障害者というマイノリティに属する人たちではなおのこと難しい、そういう現実に翻弄される人たちを描いたものだった。
ダウン症であるマルコには健康上の問題が少なくないことを納得し、食事に気を配り、単語の綴を教え、おやすみとベッドに寝かしつけ、おはようと朝を迎える、そんな2人の監護権を得たいという心情と努力には理解を示しつつも、杓子定規な法の解釈のもとではそう簡単な話ではないことが実にもどかしい。
また、法廷での判事には多少なりとも私見が混じっているようではあったという感じはする。
2人の監護権取得をなんとしても阻止しようとする敵対弁護士が執拗に2人が公序良俗に反する品行のゲイでありマルコにとって悪影響を与えるので監護権は不適当だと突いてくるのが腹立たしい。
そんな暫定的な監護権下で2人と暮らすマルコが生まれて初めて持ったであろう自分の部屋に入った時に「ぼくのうち?」と背後の2人に訊き、「そうよ、ここがおうちよ」とルディが答えると嬉しさから泣き出すマルコの姿に胸が締め付けられる思いがした。
この映画の結末はどうなるのだろうと考え、何通りもの展開を思い描いてみたのだが、結局は私の予想とは別の終わり方をした、そして、その終盤に登場するシーンのひとつはこの映画の中で既に観た光景であることに気付いたのだった。
どういった光景で、どういう結末なのかはこれから観る人が確かめて欲しい。
映画の締めはポールが監護権獲得の件に関わった人たちへ手紙を送り、ルディはステージで歌っていた、文面がどうだったのか、歌はどうだったのか、これもまた観る人が確かめて欲しい。
ルディ役のアラン・カミングが実に素晴らしかった。
原題は「Any Day Now」、そう、そのうち、いつの日か。
2017年9月25日月曜日
抽選までは応募しないが
昨年の12月にはレトロなゲームがプリインストールされている「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」を欲しがっていた私だが(2016年12月7日のブログ)、実機を触ってみると小さくなったコントローラーがこれでもかというほど使いにくくて購入を断念したのだった。
そして今年に入ってからは同じニンテンドーからの「Nintendo Switch」が欲しくて買おうとしたのだがどこも売り切れでいまだに買いない状態が続いている、「どうしてこんなに人気があるのだろう」などと思ってはみても私も惹かれたうちの1人なので人気の高さに本当に疑問を感じているわけではない。
そして今年に入ってからは同じニンテンドーからの「Nintendo Switch」が欲しくて買おうとしたのだがどこも売り切れでいまだに買いない状態が続いている、「どうしてこんなに人気があるのだろう」などと思ってはみても私も惹かれたうちの1人なので人気の高さに本当に疑問を感じているわけではない。
2017年9月24日日曜日
木綿豆腐の固さ
日曜日だというのに熱心な食材卸業者の営業さんが昼と夕方の暇な時間にやって来た、今まで付き合いのなかった業者さんである、九州産の大豆を使ったという豆腐の売り込みだった、勝手口から入ったところの厨房に置いてある折りたたみイスに腰掛けてもらいしばらく話をした。
食材や、副食材か、衛生用品かを問わずうちに来る営業さんほぼ専用の折りたたみイスである(2016年2月24日のブログ)。
今日やって来た業者さんはサンプルとして絹ごしと木綿の両方を5丁ずつ置いて行った、店頭販売はしておらず業務用としてのみらしい、どちらも白いパックに紺色の「絹」と黒い「木綿」というロゴのみのシンプルなものだった。
食材や、副食材か、衛生用品かを問わずうちに来る営業さんほぼ専用の折りたたみイスである(2016年2月24日のブログ)。
今日やって来た業者さんはサンプルとして絹ごしと木綿の両方を5丁ずつ置いて行った、店頭販売はしておらず業務用としてのみらしい、どちらも白いパックに紺色の「絹」と黒い「木綿」というロゴのみのシンプルなものだった。
2017年9月23日土曜日
87波目の高波
今日と明日は連休だという人は多い、私の多くの友人たちもそうである、残念ながら私は連休ではないが今日1日は休みだったので昼間は友人と一緒に過ごした。
モールで買い物をし、昼メシを食って、そして志賀島をグルリとドライブした。
その志賀島、最も奥にある休暇村のあたりに車を停めて勝馬海水浴場を歩いてみた、晴れていれば人はそれなりにいただろうが、今にも雨が降り出しそうな曇り空だったので辺りは寂しい限り、そんな浜辺を中年男が並んで歩くのはビジュアル的にはどうなのだろう。
白髪とハゲなのでいまひとつか、まあよい。
そこを歩いているとサブンと一際大きく波の音がした、穏やかだった波が突発的に大きくなったのだ、天気予報では波の高さは1mだと言っていたので、先ほどのはおよそ100回以上に1回は押し寄せる高波ということになる。
そこで、スマホを手に次の高波を待ってみた、友人はそんなものを撮ってどうすると呆れていたが。
数えること87波目で高波はやって来た、それまでとは全く違う音と波しぶきの大きな波だ、なるほど、海が穏やかだからと水辺で遊んでいる時に波に突き倒される人がいるのはこういうことなのだ。
浜辺を往復したのちに車に戻って自宅近くの郵便局まで送ってもらった、そこで切手を買い、いつもはあまり通らぬ道を歩いて自宅へ戻る途中のお宅の門扉から白い犬が顔を出していた、尻尾を振りながらもじもじしているので構って欲しいのがすぐに分かった、頭を撫で、スマホで撮ろうとすると思い切り顔を寄せてきた、顔やスマホをペロリと舐められそうだったので1枚撮ってその場から離れたが。
帰宅し、靴を脱ぐとかかとの部分に僅かに砂が入っているのに気が付いた、勝馬の砂だ、市内からも近く、近くには駐車場やレストラン、宿泊施設と温泉などもあるので泳がないにしろ浜辺で波と遊ぶには良い場所である。
おっと、波打ち際ではたまにやって来る高波には気を付けた上でということで。
モールで買い物をし、昼メシを食って、そして志賀島をグルリとドライブした。
その志賀島、最も奥にある休暇村のあたりに車を停めて勝馬海水浴場を歩いてみた、晴れていれば人はそれなりにいただろうが、今にも雨が降り出しそうな曇り空だったので辺りは寂しい限り、そんな浜辺を中年男が並んで歩くのはビジュアル的にはどうなのだろう。
白髪とハゲなのでいまひとつか、まあよい。
そこを歩いているとサブンと一際大きく波の音がした、穏やかだった波が突発的に大きくなったのだ、天気予報では波の高さは1mだと言っていたので、先ほどのはおよそ100回以上に1回は押し寄せる高波ということになる。
そこで、スマホを手に次の高波を待ってみた、友人はそんなものを撮ってどうすると呆れていたが。
数えること87波目で高波はやって来た、それまでとは全く違う音と波しぶきの大きな波だ、なるほど、海が穏やかだからと水辺で遊んでいる時に波に突き倒される人がいるのはこういうことなのだ。
浜辺を往復したのちに車に戻って自宅近くの郵便局まで送ってもらった、そこで切手を買い、いつもはあまり通らぬ道を歩いて自宅へ戻る途中のお宅の門扉から白い犬が顔を出していた、尻尾を振りながらもじもじしているので構って欲しいのがすぐに分かった、頭を撫で、スマホで撮ろうとすると思い切り顔を寄せてきた、顔やスマホをペロリと舐められそうだったので1枚撮ってその場から離れたが。
帰宅し、靴を脱ぐとかかとの部分に僅かに砂が入っているのに気が付いた、勝馬の砂だ、市内からも近く、近くには駐車場やレストラン、宿泊施設と温泉などもあるので泳がないにしろ浜辺で波と遊ぶには良い場所である。
おっと、波打ち際ではたまにやって来る高波には気を付けた上でということで。
2017年9月22日金曜日
2017年9月21日木曜日
2017年9月20日水曜日
仲直りのタイムリミット
夕方に友人とスタバで待ち合わせをした、DVDの交換である、私からはリバーダンスのライブを貸し、友人からはジョニー・デップが主役の映画を借りたのだ。
ついでに30分ほどを雑談で過ごしたのだが、その中で友人といつも飲みや旅行で一緒にいたK氏は元気にしているのかと訊くと「あれっきり連絡もしていない」と言うのだ、あれっきりはおよそ1年ほど前になるのではないか、飲み屋で家族の話が出た際にお互いの一言が気に食わず軽く口論となった日なのだ。
なんと、1年近く連絡もとっていなかったとは。
ついでに30分ほどを雑談で過ごしたのだが、その中で友人といつも飲みや旅行で一緒にいたK氏は元気にしているのかと訊くと「あれっきり連絡もしていない」と言うのだ、あれっきりはおよそ1年ほど前になるのではないか、飲み屋で家族の話が出た際にお互いの一言が気に食わず軽く口論となった日なのだ。
なんと、1年近く連絡もとっていなかったとは。
2017年9月19日火曜日
2017年9月18日月曜日
2017年9月17日日曜日
2017年9月16日土曜日
2017年9月15日金曜日
2017年9月14日木曜日
お椀を伏せたような理想には程遠い
午後にドコモショップへ行った、私が使っているスマホのバッテリーの劣化が進んでいる頃なので新しいものを買っておこうと思ったのだ、あいにくと在庫がなかったので取り寄せで数日かかるらしい。
MVNOのSIMを使っている私にドコモはいかがですかとサービスや料金について軽くご提案いただいたのだが、今使っているスマホのAndroidのバージョンでは使えぬアプリが多くなったり、どこか故障してしまったなどの不都合がないうちはキャリア乗り換えや機種買い替えの予定はない、だが、提案そのものは面白くてためになった、昔よりも料金は低廉になり便利なサービスもいろいろあるようだ。
料金体系の複雑さは相変わらずだとは思ったが。
MVNOのSIMを使っている私にドコモはいかがですかとサービスや料金について軽くご提案いただいたのだが、今使っているスマホのAndroidのバージョンでは使えぬアプリが多くなったり、どこか故障してしまったなどの不都合がないうちはキャリア乗り換えや機種買い替えの予定はない、だが、提案そのものは面白くてためになった、昔よりも料金は低廉になり便利なサービスもいろいろあるようだ。
料金体系の複雑さは相変わらずだとは思ったが。
2017年9月13日水曜日
8ヶ月で30kg減
Twitterのトレンドに「松村邦洋」が上がっていた、もしやまた無理なマラソンなどで危機的な状況に陥ったのかと驚いて見てみたら8ヶ月で体重を30kg落としたというニュースだった、以前にも書いた「結果にコミット」というよく意味の分からない文言をキャッチコピーとする某トレーニングジム(2015年6月13日のブログ)での成果らしい。
別のトレーニングジムで頑張ろうが、自宅で頑張ろうが、とにかく8ヶ月で30kgの減量というのは凄い、私個人の考えと意見からすれば月に1kg程度をじわじわと落として行くのが無理もなくちょうど良いのではと思うのだが、このタレントさんの減量はそれを遥かに上回る急ピッチなもの。
逆に、急すぎて体は大丈夫なのかと心配になってしまう。
別のトレーニングジムで頑張ろうが、自宅で頑張ろうが、とにかく8ヶ月で30kgの減量というのは凄い、私個人の考えと意見からすれば月に1kg程度をじわじわと落として行くのが無理もなくちょうど良いのではと思うのだが、このタレントさんの減量はそれを遥かに上回る急ピッチなもの。
逆に、急すぎて体は大丈夫なのかと心配になってしまう。
2017年9月12日火曜日
2017年9月11日月曜日
2017年9月10日日曜日
のんびりと海の風景など
ここしばらくは変則的な仕事のスケジュールが続く、遅出明けの今日は休日で、明日は再び遅出となり、数日続けば早朝からの早出に戻る。
日曜日の休日というのはそれほど多くない、たまにそういう日が巡ってくると友人たちと出掛けたりする、皆と休日が合う日はそうそうないので一緒に出掛けるチャンスなのだ。
今日は数人で遠くの道の駅までドライブに出掛けた、昼はどこかで食うのもよし、途中で何かを買って景色を眺めながら食うもよし、何れにせよ気の置けぬ仲間と一緒なので楽しいのだ。
日曜日の休日というのはそれほど多くない、たまにそういう日が巡ってくると友人たちと出掛けたりする、皆と休日が合う日はそうそうないので一緒に出掛けるチャンスなのだ。
今日は数人で遠くの道の駅までドライブに出掛けた、昼はどこかで食うのもよし、途中で何かを買って景色を眺めながら食うもよし、何れにせよ気の置けぬ仲間と一緒なので楽しいのだ。
2017年9月9日土曜日
2017年9月8日金曜日
僅か10分足らずのフォグ
今日と明日は遅出の仕事、昼過ぎに家を出れば仕事場に余裕で到着するというのにいつもの生活サイクルが身に沁みついているせいで早朝に目が覚めた、空は晴れていて暑くも寒くもない、二度寝するにも眠気は遠そうで暇を持て余してしまった。
そうだ、散歩ついでに24時間営業のディスカウントストアでも行ってみようと自転車でトライアル粕屋店まで行った、明け方なのでほとんど客などいないだろうと思っていたが入口近くの駐車場には車がたくさん停まっていて店内はそこそこの人がいた、思い切り夜更しの人たちなのか、かなり早起きの人たちなのか、どちらが多いのだろう。
そうだ、散歩ついでに24時間営業のディスカウントストアでも行ってみようと自転車でトライアル粕屋店まで行った、明け方なのでほとんど客などいないだろうと思っていたが入口近くの駐車場には車がたくさん停まっていて店内はそこそこの人がいた、思い切り夜更しの人たちなのか、かなり早起きの人たちなのか、どちらが多いのだろう。
2017年9月7日木曜日
不思議と膝に寄ってくる最強の虫
ハチのようでハチではなく、相当に敏感な視覚は餌の捕食や危機回避に欠かせぬもので、人が手で追い払う動きなどひどくゆったりとしたものらしく容易くかわして飛ぶさまはまさに敏捷なハエそのもの、私はスズメバチやサシガメでさえ捕らえて捕食するそのシオヤアブという虫こそ最強の虫だと思っている。
真夏も活発に活動はしているが、不思議と縁側でぼんやりしている時に近寄ってくるのがちょうどこの時期、今日も雨を境に急に涼しくなった午後のベランダから一瞬だけ部屋に飛び込んできたシオヤアブが私の膝にとまろうとしたのだった。
真夏も活発に活動はしているが、不思議と縁側でぼんやりしている時に近寄ってくるのがちょうどこの時期、今日も雨を境に急に涼しくなった午後のベランダから一瞬だけ部屋に飛び込んできたシオヤアブが私の膝にとまろうとしたのだった。
2017年9月6日水曜日
2017年9月5日火曜日
2017年9月4日月曜日
真相は深い深い闇の奥
今までいろんなドキュメンタリーを観てきた、テレビにしろ映画にしろ、まるで観光案内のような美しい風景ばかりのものもあれば、人知れず枯れ葉の裏で命を紡ぐ虫たちのものもある、そして今回のように核心に近づく度に怖さを感じるものまで様々だった。
この「キーパーズ」は50年近くも昔に起きた修道女殺害事件に潜む謎と闇を解き明かそうと奮闘する人たち、そしてその経過と展開を記録したものである。
この「キーパーズ」は50年近くも昔に起きた修道女殺害事件に潜む謎と闇を解き明かそうと奮闘する人たち、そしてその経過と展開を記録したものである。
2017年9月3日日曜日
2017年9月2日土曜日
再び架空請求
午前中に0120で始まる番号からSMSが届いていた、身に覚えのない内容は架空請求だ、結局は前回の時と内容は似たものである(2016年1月13日のブログ)、料金未納があるので支払えというもの、応じなければ法的措置に踏み切るそという脅し付き。
どこぞの飲み屋では守銭奴だと話のネタにされたこともある私の所へよくこんなものを送りつけてきたものだと思う、まあ、適当な電話番号へ一斉に送りつけているSMSなのだろうけれど。
どこぞの飲み屋では守銭奴だと話のネタにされたこともある私の所へよくこんなものを送りつけてきたものだと思う、まあ、適当な電話番号へ一斉に送りつけているSMSなのだろうけれど。
2017年9月1日金曜日
力こぶ相手に話はしない
某ゲイ同士の出会い系アプリで頻繁に足あとを残してくる人がいる、複数の画像を登録しているが全てが力こぶという力こぶ自慢さんだ、どれもが右腕で角度を変えた画像である。
私は顔画像を載せている人としかやりとりはしない、プロフィールにもそう書いているが、面倒臭いのかプロフィールは読まない人がいて顔なしさんなのにメッセージを送ってくる人もいる、なので顔のわからぬ人とはやりとりしないと返すだけで終わることにしている。
私は顔画像を載せている人としかやりとりはしない、プロフィールにもそう書いているが、面倒臭いのかプロフィールは読まない人がいて顔なしさんなのにメッセージを送ってくる人もいる、なので顔のわからぬ人とはやりとりしないと返すだけで終わることにしている。